僕の職場は月曜日が忙しい。
特に今週の月曜は、それに乗っけて様々な業務が重なって予定されていたので、準備のために僕は10分早く家を出た。
気を利かしたつもりのこの10分が、結果的に僕の凶となった。

7:58。

本来であればまだ最寄り駅の改札を通るか通らないかくらいの時刻だ。
10分早く出た僕は新今宮の薄っぺらなホームの上にいた。
ホームの上には物凄い人だかり。学生、社会人、観光客…
それぞれの思いと、それぞれの今日を乗せた薄っぺらなホームが弛む。
それらを避けて、ホームの崖っぷちを歩く僕。
電車に乗ろうと肩越しを走る者たち。キケン。
その中にひとり、徒競走バリの全力疾走をキメるふざけた男。
もし少しでも触れていれば、僕は線路に転落していた。
「クソがっ」
舌打ち捨てて歩いているところに衝撃。
ぶつかっていないのに衝撃が走った。
最初、電車が何らかの事故を起こしたのだと思った。
まるで地震みたいだ、と。
次の瞬間、ホームにいた何人かがその場にしゃがみ込んだ。
あ、地震か
まもなく僕が乗るつもりだった電車が到着した。電車はいつも通りに扉を開き、中のニンゲンと外のニンゲンを入れ替えた。ただ、当然電車は動かなかった。しばらくは動かないだろうと僕も思っていた。早く出た10分が無駄になるな、と少しだけ苛立っていた。

僕の仕事は、台風など災害が出ると忙しくなる。
地震も当然例外ではない。
早く行かないと同僚たちがたまらない。僕はいずれ動くと決め込んだ電車に乗り込み、情報を待った。
「地震が起きました。運転を見合わせています。再開のめどは立っていません」
繰り返しアナウンスが流れる。
周りの人、ほとんどはスマホで情報を集めているよう。
中には電話する者も。誰かの無事を確かめたり、現況を伝えたりと。
こんな状況なのでそれを咎める者は誰もいない。
それを見て、僕は初めて自分も連絡する人がいたのではないか、と考えた。
片手に持った古井由吉の文庫本を鞄にしまい、母にメールを打った。
地震直後なので当然まだ震源地などはわからない。
電車は止まっているが、大阪市内は大きな被害はないよう。
大阪府南部に住む母は、大きな被害を被っているかも知れない。
その思いに至って、僕は初めて少し緊張が走った。
しばらくして動かない電車の中で、母からの返信を受信した。
今になれば当然誰もが知っていることだが、南部は市内より被害が少ない。
母のメールにはその無事の報告と、何度も電話したけど繋がらなくて怖かった、という内容が記されていた。
その直後に、愛知県の兄からラインが届いた。
無事であることを報告した。

それが落ち着いたら、僕はやはり仕事のことが気になった。
きっと運用室はてんやわんやになっているだろうと想像できた。
何としても職場に向かわねば。
その焦りと相反するように、周りの人たちは落ち着いているように見えた。
全員がそうではないのだろうけれど「電車が動かないんだからしょーがないよ」と決め込んでいるように見えた。
僕の場合はそうはいかない。夜勤明けの人たちが帰られない。
どうやって行こうか?この電車が動くのを待つのが得策か?
そうだ、メトロなら動いているかも知れない。
その時はまだ全線見合わせの情報はスマホでも収集できなかった。
ひとり、ふたりと電車を降りていく人たちに続いて僕も電車を出た。
ナビを出してそこから最寄りのメトロの駅に向かう。
おそらく同じ考えの人たちが何人か同じ道を歩く。
普段使うことのない駅なので佇まいすら知らない。
先に見えたのは駅ではなく、絶望という名の人ごみだった。
つまり、動いていないことを物語っていた。

さて、どうしたものか。
間違いなくメトロの方がJRより先に復旧する。
ここで待つか?
職場の人からメッセージが届いた。
『無事ですか?』に続いて『電車が動いてから来てください』という内容だった。
職場は正直、どうしたって歩いていけない距離ではない。
試しにナビを出してみると、徒歩で1時間40分と出た。
キツイ。それ以上に到着がめちゃくちゃ遅くなる。
情報を集めながら歩けば道の途中、いつか動き出す電車に乗り込めるやも知れぬ。
そう思って5歩進んで踵を返した。
帰ろう。
帰って、自転車で行こう。その方がきっと早い。
同時にこれは苦渋の選択でもあった。
早く出た10分間を完全に否定する行為であった。
いつも通りに家を出ていれば、家の近くにいて、すぐに自転車に乗れたのだ。

悩むより歩いた。
何もせずに待つのは、歩くより辛い行為だと思った。
道はよく知る道だったが、歩くのは初めてだった。
普段の歩道がどれほどの人なのか知らないけれど、その日はお祭りの時くらいの人が行き交っていた。
仕事人も大変だが、スーツケース転がした観光客はもっと災難かも知れないと思った。

救急車や消防車もたくさん走った。
車道の車はいつもより多いのか少ないのかは僕には判断できなかった。
横断歩道ではない道路を歩いて渡る外国人女性がいた。
青信号のタイミングではあったが、そこを救急車が行き去った。
彼女は道路の中央でそれを待った。
救急車が過ぎ去る頃には信号が変わっていた。
大阪人の悪いところが出た。
信号待ちをしていた車が勢いよく走り出した。
間違いなく、道の真ん中で救急車を見送った外国人女性を見止めていたはずだった。
「横断歩道を歩いてないお前が悪いねんぞ!俺はちゃんと信号守ってるねんぞ」という運転だった。
彼女は平然とした顔で道路を渡り、鼻先まで近づいてきたトラックに中指を立てた。
痛快だった。

それを見送ると僕のスマホが鳴った。
友達が安否を心配してラインしてくれた。

何とか歩き切り、いったん部屋に戻ろうとマンション内に入ると、
エレベータが止まっていた。
初めて僕は自分のマンションの階段室に入った。

自転車で初めて今の職場に向かった。
ここまでの僕の行動のどこに非があったのか、自転車にまたがったと同時に雨が降り出した。
会社のエレベータも止まり、階段で上がる。初の自転車出勤に重ねて階段。
職場は4階だが、8階くらいの高さがある。ただ、18階の人もいる。無事に辿り着けたのだろうか。
ヒーヒー言いながら運用室に入った。結果、1時間弱の遅刻だった。

運用室は地震で特別体制が組まれてはいたが、地震による影響はそれほどなかった。
全国を相手にしているので、地震関係なく回る地域もある。
それらの対応をしながら、午後には落ち着いた。

初めて自転車で帰って、筋トレするつもりだったがさすがにへとへとで、その元気は残ってなかった。

仕事を終えて、やっとこれが歴史に刻まれる災害の一つなんだと認識することができた。
地震直後、車内から電話する人たち。
ホームにいた女子高生に、同じ制服を着た女子高生が後ろから近づいてきて肩を叩き、ふたりで抱き合っていた。
僕にはそれが、とても茶番には見えなかった。

今ままで経験した災害や事故。
真っ青な顔をして、誰かに連絡を取った覚えがないわけではない。
ただ少なくとも今回、僕は誰かの安否をすぐに心配したりしなかった。
向かいのホームでは、なぜか人々がしばらくしゃがみ込んでいた。

僕は冷静だった。
「なんだ、地震か」
そう思っていたと思う。
この冷静さが、なんか恥ずかしかった。
僕は『生』にしがみついていないのだと気付いた。
『生』にしがみついて、無事を喜んで抱き合う人たちが、僕には美しく見えた。


ちょうど前日、実家にいた僕は母にこんなお願いをしていた。

もし俺が死んだら、坊さん呼んで読経なんてしてほしくない。
別に仏教徒ではないし、神道でもないので祝詞もいらない。
知り合いでもない坊さんが、見慣れない袈裟着てやって来て、
ドカッと座り馴染みもないお経読まれても、何のリアリティーもない。
『悲しみなさい』のあの空気、とても苦手。
お世話になった人や、友達が死んだ時、お通夜で僕はその人の思い出話やバカな出来事を語るように努めた。その人にまつわる笑い話をなるべくしようとした。
死を否定したくなかったからだ。

不謹慎だと思った人もいたのかも知れない。
死を否定したい人もいたのかも知れない。

ただ僕は、僕のやり方の方が、死に行く人たちが喜ぶとそう信じている。
他の意見を否定するつもりは一切ない。
いち、僕の考えである。
だから少なくとも僕の時はそうして欲しい。
みんなで酒飲みながら、美味いもん食いながら、僕の生前の話で盛り上がってほしい。
酔っぱらってきて、話が僕とカンケーないところに行っちゃうと、ちょっと淋しいけどそれでもまあ、構わない。一回だけ化けて出てやる。

母では頼りないので、ここにこうやって思いを書き残しておく。
読んでくれた友達がこれを見せて、僕の思いを叶えてくれますように。

『この人の言う通りに葬式パーティーしてください』ナヤ ヨシタカ

もちろんまだまだ死ぬ予定はないよー
身体も健康よー
まだまだ未死ナヤをよろしくよー


そんなわけで未死ナヤ、ラスト300本(推定)目のライブはー
来週月曜

初のトリで出番は21:25~
よろしくちゃんよ~ よろしくちゃんよ~ 空を見上げりゃ~