たぎり屋会報

たぎり屋ナヤのお送りする日々の回想、雑文。

2017年02月

最近ちょっと『食』に興味を持ち始めているように思うです。
もちろん昔からなかったわけではないのですが、当時の僕は『飲む』がメインでその為の食だったのです。
今はむしろ、飲まなくても平気になってきました。
毎日きっちり確実に飲んでいたお酒も平日は飲まなくなり、煙草もすっかりやめてしまい、なんだこのツマラン男は、というような人生を歩み始めました。
日曜日、草野球の練習試合の為に地元、実家に帰っておりました。昼過ぎに野球は終了。珍しく快勝。俺も2点タイムリーを放ち、ゴキゲンさん。
日の高いうちに風呂に入り、母の御馳走。明るいうちからキューっと…
今までなら間違いなく飲んで飲まれて飲みつぶれて眠るまで飲んでたと思うのですが。
その日は夜に用事があったので、飲まない方がええかなあ、と。
とはいえ、飲んでしまうのが飲兵衛、呑み助の常。
刺身と焼きさんまを前にして、腹を決め、ぐっと水を干す。
あのね、他の人はどうか知らないのだけど、俺の場合、最初の一杯を我慢すれば、あとは平気。
むしろさ、実はさ、お酒飲まない方が料理の味がよく判るし、たくさん食べられるし、脇腹あたりに倖せを携えた女性を鼻の下で眺めることもなく(この日は実家なのでどちらにしてもないことですが)過ごせるんだわね。

食べ終わりもシラフだからテキパキと動け、脱力感も残尿感もなく行動。
パパパっと思い描いた通りかそれ以上のスムーズさ。
世界って歪んでないんだね~と。

そして早めに帰宅して、気になっていた作曲活動に没頭。
これまた思い描いた以上の充実感。
日曜日に飲まなかったのって何年振りだろうか。ねえ、何年振り?
その反動で平日すっかり酒浸り…
ということもなく。野球の週は3~4日筋肉痛でキンニ苦痛なんですけれども、飲んでないからほとんどそれもなく、月曜から筋トレ。
お酒飲まないだけで得られる時間の多さよ。
ステキステキ。
で、仕事が暇だもんで、当然そんな時ヒトは食べログに走るわけですが。
中華が食べたかったので調べる。その流れで家の周り、職場周りの評判の良いお店をチェック!忙しそうな人の襟首掴んで情報を聞き出したり。
そうこうしていると良さげなお店を家の近くに発見し、トモダチを誘ってみると金曜の夜にオッケーもらい。それが昨日で行って来たわけですが。とっても楽しく美味しいお店。ひとりでも行きやすそう。頻繁に行けそうな感じ。
なんとなく何のお店なのかはここに書かないずる賢さ。
当然飲みましたよー久し振りに。
ていうか火曜か水曜あたりにその予定が決まったので、体調崩さないように木曜日、リハビリのビールを飲む(笑)
飲みたくもねえビール&ウイスキーをやる。
そんな面白くもねえ男になっちまったのさ。
甘いものとかに走るかもね!
餡子とか調べ出すかもね!
「ラジオネーム、カスタードクリームさんからの投稿です」ってなるかもね!
カレー食べたいな!
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2回目のカシミールさん。
これはちょっと神の領域。
カレー好きなら生きてるうちに是非一度。

体重は増えません。申し訳ない。
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僕のカレー好きはさらにわんぱくで、たくましく育っているわけであるが、最近はカレーだけに留まらずチャイの方にも進んでいる。チャイコフスキー。ドストエフスキー。関係ない。ドストエフスキーに関してはチャイコフスキーから派生したものであり、カラマーゾフ的な意味は一切ない。

チャイ。
カレー屋さんに行くと、ドリンクメニューとして存在することが多い。
言わずと知れたインドのスパイス入りミルクティー。
興味もなかったし元々ミルクティーがそんなに好きではないしで注文することはなかった。そもそも子供の頃からミルクティーを飲むと、気分が悪くなる体質なのである。
先日、ついに自分でスパイスカレーを作ってみようとネットでスパイスを買った。
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これが完成品。
牡蠣キーマカレー。舞茸とほうれん草。
そのスパイスにおまけでチャイ用のスパイスがついてきた。
飲んだことがなかったので、本物の味を知らなくちゃ、と注文したのが始まり。
最初は名店、ゼロワンカレーさんで。
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今ではお店が落ち着いていたら色々とお話する間柄になったので、チャイについても色々を聞く。
次にツキノワカレーさんで。
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ツキノワ店長さんとは昔の知り合いなので普通に話すのだが、食後にチャイ飲んでたらお店が混んできたのでそそくさと退出。
ちなみに写真は両方とも過去のものをご紹介。

そして最近再びお気に入りのニドミさんでも注文。
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これも過去の写真ね。
ニドミさんのチャイ、一度飲んでみて!
めちゃくちゃスパイス効いててびっくらこくど!

チャイならカレーが食べられない時でもお気軽に飲める。
簡易型スパイス注入方法ではないか、と。
コンビニやらスーパーでも手に入るだろうと探してみたのだけど、ないのね。
あったこともあるのかな?なくなっちゃったのかな?
全然知らん。何もワカラン。オレナンテオレナンテ
ネットで買うかーとか、どこで売ってるのんやー等の疑問をGoogleに投げつける。
すると、スタバでチャイティーラテってのが有名なんだってね。スタバとか行かん。柄やない。
もうちょいチャイ、ネットで調べてみたら『スタバのチャイティーラテをご家庭で』的なよくあるブログに行き着く。
無印に『チャイブレンド』ってティーバッグがあるのだそうで、それに牛乳とはちみつで作れると。
さっそく週末、無印に買いに行くと、粉のマサラチャイってのもあって、それも買う。
ブログで見た通りにティーバッグを煮出し、買ってきたはちみつと牛乳で作る。
うむ…遠くの方でスパイスがこっちをチラッと覗いてる感じ。
試しに粉の『マサラチャイ』を淹れてみる。これは簡単。
断然こっちの方が美味しい。
オススメは無印のマサラチャイです。

チャイだけなら喫茶店でも扱ってるお店ありそうなので、情報求ムしまーす!



ニュアンス。
僕はわりとこの言葉をよく使う方だと思うのだけれど。
ニュアンスを伝えることを妥協してしまうと、後で互いの相違が生まれることが多いように思います。
最初に時間をかけても、ニュアンスをちゃんと伝えた方が近道だと思うのです。

例えば今難波にいる友人が、梅田と江坂に用事があるとします。
普通に考えれば、梅田の方が近いわけですから、梅田に寄ってから江坂に行きますよね。
そこに僕が助言します。
「先に江坂に行ってから、帰りに梅田に行った方が良いでしょう」
友人にニュアンスが伝わっていない状態です。
「そう?わかった」という人もいるだろうし、「なんでやねん、梅田の方が近いのだから、先に梅田に行くわい」と多少馬鹿にしながら言う人もいるでしょう。

では、ニュアンスを伝えたバージョン。
「江坂には行きたいカフェがあるのでしょう?そして梅田で特価のファンヒーターを買おうと思ってるんですね。なら先に江坂に行きなさい。梅田でファンヒーターを買って、それを持ったまま江坂まで行くのは骨が折れるでしょうから」

ここまできちんと伝えるときっと友人は
「なるほど!そうするよ」
と納得してくれるでしょう。

あまりにチープな一例で申し訳ないです(笑)
けど、日々の生活の中で、こういうことが多々ある。
特に仕事ではこれをきちんと伝えた方が良い。
ニュアンスは仕事には直接関わらないかも知れないけれど、納得して動くのと疑問符浮かべたまま動くのでは効率がずいぶん異なると思うのです。
部下が「なんで江坂が先なのだろう?別にどっちに先に行こうが俺の勝手じゃないか!」と思いながら仕事をするのは決していい結果を生まないと思うのです。

なんでわざわざこんな判り切ったことを書くのかというと、これができない人が世の中にはあまりに多いのです。
ニュアンスは自分の中で咀嚼して消化するだけではなく、相手にも噛んでもらうことが大切なのです。

ただ、あまりに自分の中のニュアンスを相手に押し付けてしまうのも野暮です。
ここの線引きが難しい。
なんというか、今書いていて気付いたことなんですが、ニュアンスというのは人それぞれが自分の中にだけ持っているもので。「これが私のニュアンスです。どうかお受け取り下さい」と譲渡できる類のものではない。
では『江坂が先』論はどう相手に伝えればよいか?相手のニュアンスを発動させることなんですね。
僕はこの『ニュアンスを伝える』に重きを置いていて、今考えれば、無意識のうちに相手の持つニュアンスに信号を送っていた。だから例え『江坂が先』論は僕のアイデアであっても、相手は「自分で思いついた!」と思うことが多い。なんとなく悔しいような気もするけど、これがニュアンスなのだと思うのです。
上の例で言うならば、
「梅田でファンヒーターを買うのでしょう?」
と言った時点で相手は合点が行き、「俺、江坂に先に行くよ!思いついた!感じた!気付いた!俺って天才!お前って凡人!」となるのです。
なんか損したような感じですが、この付き合い方は相手にもきっと心地良いものだと思うので、また頼ってくれたりと、繋がりが築けるでしょう。これもニュアンスと呼べると思います。
また僕からしたら、なぜ江坂が先で梅田が後なのかをきちんと最後まで聞いてくれる人がきっと気持ちいいのです。「また話したい」と思うと思うのです。これもニュアンスだと思います。

実はこの記事、ひと月以上も前から構想を練って、下書き保存していた内容なんですが、今日は思いのほか、上手に書けた(笑)新たに気付けたこともあるし、うん。書けて良かった。

さてニュアンス第二章。
ニュアンスは決して毎回正しい訳ではない。
『マニュアル通り』というのは反ニュアンス体制ですな(笑)
『マニュアル通り』は正しいかも知れないけれど、ニュアンスを無視している。法律とか、規則とかはそれでも仕方のない部分もある。
しかし、店員の在り方だとか、日々のマナーだとかをマニュアル通りに、ニュアンスを蔑ろ(【ナイガシろ】こう書くんや。知らんかった)にしてしまうと、世の中が本当につまらないものになってしまう。
そして今、世界はそうなりつつある。
芸能界とか、テレビ業界とかも、マニュアル通り過ぎてつまらなくなってきている。ニュアンスじゃ通用しなくなってきている。
マニュアルは、例えば本に書き記したものだから、容易に共有できるわけです。
ニュアンスは上にも書いた通り、個々がそれぞれに持ち得るものだから、共有するのが難しい。
ならば、共有できるマニュアルだけで成り立たせよう!としているのが現代。これが実にツマラン。
ニュアンスを述べるものは排除される。少なくともテレビからは。
又、ニュアンスをマニュアル化して共有する例もある。これは非常に不愉快極まりない。アート作品が頻繁にこの餌食になっている。
アート作品の良さってのは、僕は大好きだけど、彼に判らん、と言うようなものだと思うのです。みんながみんなで「好きー!」って挙手願うものじゃないと思うのです。
一例を出すと、きゃりーぱみゅぱみゅさん。
先に言っておきますが僕はきゃりーぱみゅぱみゅさん、決して嫌いじゃないです。興味こそありませんが。
よくは知らないのですけど、確か作詞作曲とも、男性プロデューサーの方が制作してるんですよね?以前番組で観たように思います。所謂ラッスンゴレライ的な、意味のない世界。僕は大好きです。興味なかったから知らなかったし、あの彩色の世界も苦手なので目を逸らしておりましたが、歌詞にはぶったまげました。
そして見直しました。
なるほど!これが人気があるのなら構わない。とても素晴らしい未来じゃないか。
ではさて。
なぜ、同じようなアート作品には世間は見向きもしない?
「意味わからんし」って簡単に投げ捨てることが出来る?
つまりこれはきゃりーぱみゅぱみゅさんを好きなわけではなくて、世間で共有するツール【マニュアル】として使用しているだけなのです。
さっき話した個々のニュアンスは発動していない。眠ったまんま。
これはきゃりーぱみゅぱみゅさんをも冒涜している行為だと思うのです。
心のないやさしさは 敗北に似てる」。

僕は悩説から続くこのブログを通して、ひたすらそのニュアンスってヤツを伝えようとしてきたのだと思うのです。
有名人でも芸能人でもない、容姿が極めて妖艶で美しいわけでもない僕のこんな駄文を、ずっと読んでくれてる人というのは、きっとそのニュアンスが何となく伝わって、自分の中のニュアンスが発動した人だと思うのです。
だからいつも言うように「ブログ読んでるよ」は本当に嬉しい言葉です。
僕は個々のニュアンスを発動させることが何よりの楽しみなんですね。その為だけに生きていると言っても過言じゃない。Facebookでも写真の投稿も含め、それだけに重点を置いている。それが伝わってくる内容にしかアクションも起こしませんし(「子供が生まれました」等の記事は別として)。
多少書き過ぎてニュアンスが溢れて野暮になるのが僕の悪い癖ではあるのですが。

今後もたぶんその活動を続けると思います。
どうぞよろしゅうに!

ちなみにニュアンスの海で泳ぎたいなら、テレビを消してラジオを点けることです。FMはダメぞ!あれはThis is aマニュアル。クダラン世界です。AMね。僕はまだ兵動さんとメッセンジャーくらいしかちゃんと聞いてないですが、この方々もずっとニュアンスの話をしてはる。きっとあなたのニュアンスも発動することでしょう。

最後にもうひとつ。
言葉を引用したくて、何気にリンク張った上記の『青春』。ハイロウズね。
このマーシーの歌詞は、最初から最後までニュアンスだけで成り立ってるね。
完全に脱帽です。スゴスギ



あ、それゆけメッセンジャー始まる!
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ご存ず?
最近ぜんぜん映画観てないなー。観なきゃなーと昨日。
仕事が何にもなくなっちゃって、昼過ぎ帰らせてもらって、平日の空きじゃーカシミールじゃーと行ってみると14時前に長蛇の列。どんな列でも並ぶ覚悟を決めていたはずなのに、「ふざけんな!」と背を向ける。前日の同じ時間帯、仕事で前を通るとひとりもいなかったのに…

別のカレー屋さんに行きましたよー


で、帰って映画でも観ようと。
何本かチェックしてる中の一本。何となくこれの気分だった。思いっきり「騙されたー!そう来たかー!」と絶叫の金曜日にしたかった。

最後の5分。全てが覆る。あなたは必ず2回観る。

凄い自信。かなりのどんでん返しを用意してるのだろう。Amazonやらのレビューでは「わかってたのに騙されたー!」とよく書かれていました。※あ、もしかしたら以後の文章、ネタバレあるかも知れないので、まだ観てない、観る予定の人は読まないでね。

多くの人が「騙されるもんかいっ」と意気込んで観ると思うのです。この手の映画って。言わずもがな、僕もそのうち。
どんでん返し系の作品にありがちなのは、観る側の目を散らす手法。つまり注意を他所【X】に引きつけておいて、別の場面【Y】でひっくり返す。「えー!こうなると思ったのに、そうなるとはー!」とね。僕は瞬きもそこそこに、血走った目で場面場面の細々をチェック。
来た来た!【X】の伏線が散りばめられる。つまりコドモダマシ部分。わざとに判るように演出されている。多少判り易すぎる伏線だが、これは注意を奪う為のものだから。うむうむ、上手だ。【Y】の伏線はまだひとつも見つけられない。
『まるでカセットテープをひっくり返したような』
それもこの映画のフレコミ。作中でA面からB面へとテープがひっくり返される。凄い。大したものだ。まだ誰も【X】にしか気付いていない。
あ、もしかしたらこれは「【X】だと思ったでしょ?【X】ではないのよー!ばーか」というオチかも知れない。なんやねん腹立つ!と勝手に騙された気になって腹立てて観進める。
ラスト、バーンとなって、答え合わせ。おお!【Y】ぜんぜん見つけられへんかった!しばらく映画観てないうちに、どんどん趣向が凝るようになったものだなーと、【X】の答え合わせを眺める。うむうむ、それは判ってる、みんな気付いてる。ほいでほいで?どんな【Y】?

エンドロールが…

???
あ、エンドロールのあとにオチってパターンか!いやいやこれくらい『すべてが覆る』なんて言い切っているのだ、エンドロールぶった切って、途中で【Y】をドカーンと投げつけるつもりだな!油断するな俺!騙されへんぞ!
油断す…ゆだんす…湯ダンス…ユダンス…????

????

??????

END?

へ?

遠藤?


終わっちった。
僕はU-NEXTの有料をPCで観たんですけどね。
PC逆さにして振ってみましたよ。
おーい!出てこーい!と。

【Y】は?

まさかの【X】で終わり。
ウソーン

けっこうな高評価だったのです。Amazonレビューではね。
あ、そっか、騙される云々ではなく、作品としてとても良かった、と言わしめる映画なのかと、今一度レビュー読んでみると、多くの人が「騙されましたー」って書いてるわけ。
ウソーン
みんな【X】が見抜けなかったの?いやいや伏線放ったらかしにしといたら気持ち悪いやん。。「この場面が後で効いてくるのね」ってこれ見よがしなThis is a 伏線がボッコボコ散りばめられてたやん。その伏線は完全に答えを匂わせてたやん…。
もちろん『2回』観ないですよ。てか2度と観ないですよ。ああガックリ…
これだったら、スーパーマラドーナの漫才の方がよっぽど秀逸に出来てるやん、と口直しにYouTubeを観る。例のエレベーターのネタは、気付いた人いないはず。ちょっとしたミステリー小説ですよね。あと、落ち武者のネタもね。散りばめた伏線を最後にブルドーザーでガガガーっと回収していく。漫才ってここまで進化したか!と。
そんなミステリーチックなネタを作るふたりですが、僕は2016M-1の最終決戦のネタが一番好きです。てか2016年のM-1は過去最高のクオリティーじゃなかったですか?銀シャリはもちろん、スーパーマラドーナも和牛もえげつなかった。あの審査員の顔(笑)
つまりね、見えないから成り立つネタなんですよね。コントではできない。漫才は落語同様、観る側の想像力に作用させるので、こういうミステリーが生まれるんですよね。シンプルなものも、まだまだ可能性があるのでしょうね。

そんなスーパーマラドーナが出るよしもとライブが4月に奈良は桜井であります。
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NGKの近くに住み、各地でよしもとライブが催されている中、なぜにわざわざ桜井なのか。
ずーっと観たい二組、矢野兵動とメッセンジャーが共演する日を探してたんですけど、それが近々では桜井なんです。4月です。それにスーパーマラドーナも出るのです。
漫才ってテレビでしか観ないけど(生で観たのは小学生以来かな?)、やっぱり生で観るものなんだと思うのです。同じ空気を共有している中で、その空気を操るのが舞台なんだと思うのです。
メッセンジャーのおふたりはラジオでもよくそういうお話をされてるんですが、そう思って、メッセンジャーの漫才映像を観てみるとなるほど確かに。これぞ漫才だな、という空気感でやっている。オール阪神巨人や中田カウス・ボタンとかの師匠クラスの漫才に近付いて行ってるように思う。若手漫才ももちろん面白いんだけど、ネタの面白さと、舞台の面白さって必ずしも同じではないんですよね。
舞台に生き続けた藤山寛美先生。この人を評して浜村淳先生が言いました。
「間の取り方がバツグンに上手い!」

僕は寛美劇場は映像で相当観ましたが、やっぱり生で観たらもっと凄かったんだろうなと思います。

最近、その生の舞台というものを、前より意識して観ているように思う。舞台の映像を観るわけですけど、やっぱり会場に足を運んで観るのが好ましい。なかなかお金もないのでしょっちゅうは行けませんが。音楽も僕は正直ライヴしか信じていません。音なんて特に、空気を揺らすものだから、空気感はやっぱ最重要。
若い頃はただ楽しくて、カッコよくなりたくて、ステージに上がってましたけど、今はそういう楽しみ方がある。実際僕が今取り組んでいる音楽なんて、その空気感のみ、って感じですしね(笑)思考も盛り上がりも一体感も求めてない。いや、成功すれば、恐ろしい一体感が生まれるはずなんですけどね。まだまだ。
そんな憧れの舞台に上がることができるなんて、なんとも幸せなことではないか、と今更ながら有難さと喜びでいっぱいになる。やっぱり一番やりたいことは、舞台に上がること、なんだな。

2~3週間、機材の設定で苦しみ倒してました。今やデジタル制御されてて、そのプログラムが全く分からん。その筋の人なら常識なのか、判り易い説明が見当たらない!なんやねんこれ!やめたろか!馬鹿にすな!と。そんな2~3週間。これが設定できないと前に進めん。理解は出来てないけどなんとか設定はできて、思い通りに動いてくれたら頭の中でeastern youthの『街はふるさと』が響いて。久々に聴いて号泣。今俺はここにいる。と。

足許、今日もフラフラ
人間万事グラグラ

てなわけで、もっと書きたいこともあったのだけど、久々のブログで想いがはち切れて、予定になかったことまで書き連ねるれば、ずいぶんと長くなってしまったようなので、このあたりで。
誰か桜井一緒に行こうよー(ちなみに今日チケット発売)
お笑いライブはちょっと、ひとりで行く勇気ない(笑)


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