最近ね、日本昔話をパロッたCMがよく放送されてるよね。
マジメな登場人物を現代特有の冷やかな目線で描いたおバカっぷりは実に愉快で、まだまだネタは豊富にありそうです。
けどふと思ったのさ。
これ、子供に見せていいのかしら?と。
よく言うのは、「子供って大人が思っている以上に賢いよ」ということ。
それはそうだと思う。
だけど僕は同時に言いたい。
「子供って大人が思っている以上に純粋だよ」と。
大人になるというのは、純粋さを壊すことと言えるかも知れない。
だけどその純粋さを、どれだけ保って行けるかが、ニンゲン個人の価値の見せ所だと思うのです。
我々大人が一番にやるべきことは、子供たちの可能性を刈り取らず育てることだと思うのです。
この間、放送してましたね。
『おもひでぽろぽろ』
理由はないけど好きな作品で、結構日頃、頻繁に思い出す場面も多い。
ジブリ作品は声優の起用に問題があるとよく言われ、僕も頷かざるを得ないところがあるのだけど、
この作品は今井美樹さん、柳葉敏郎さんと当たりだと個人的には思う。
僕が子供の頃から、年に一回ペースで放送されてると思うけど、子供が観てもあんまり面白くないアニメ映画かも知れないね。
ちょうど主人公と同世代になった今だから、このストーリーの深みが判る。
…と思いきや!俺、主人公の年齢飛び越してた!ひとっ跳び!あいやーッ!(主人公は29歳。老けてる)
勤め先に長期休暇届を出して、田舎で農業を手伝う女性の話。
その旅に、小学五年生の"わたし"を連れて行くことになる。
場面ばめんで、当時の思い出が蘇るっていうお話。
小学五年生。
そんなに鮮明に憶えてないなぁ。初恋は5年生だったけど。
中学も高校も、ついこの間のように思っていたけど、思い出そうと思うと、映画ほど鮮明に蘇って来ないよな。
小学校の時の友達で、今でも付き合いがあるのはひとりだけかしら?そいつは今でも未来を見据えているやつで、一応僕もそのつもりだから、あんまり会って飲んでも、思い出に浸るってことはしないしな。それも思い出せない要因のひとつなのかな?
小学生の頃を思い出そうとすると、よく浮かぶのがデイキャンプの日。
学校で飯盒炊爨(ハンゴウスイサンってこんな難しい漢字なの!?知らなんだ!)して、カレーを作って夜7時ごろ帰るっていう催し。
「これなんでやるんだろう?」「学校でこんなことして何が楽しいのだろう?」
そんな風に考えていたのは僕だけじゃなかったはず。そんなレクリエーション、すっかり忘れたって人が殆どだと思う。何か事件が起きたわけでもない。
そんな何でもない一日を、僕はふと思い出すことがある。
何なんだろうね?
思いもよらぬものが記憶に残ったりするもんだね。
もうひとつ、思い出す場面があった。それは小学一年生の時。
たまに食べたくなるよね。昨日買って来ました。
カール見ると必ず思い出す。初めて行った友達の家でファミコンしてたら、不愛想な友達の姉ちゃんが大層に皿にカールを盛って持って来てくれた。皿は盆の上に載っていて、濡れた布巾がその傍らに。
「ちゃんと手拭いて食べや」
え?なに?その文化。どうすんの?最初におしぼりよろしくガッツリ拭いてから食べればいいの?それともつまむ度に指先を拭くの?
様子をうかがっていたらどうやら後者のようで、友達は食べるごとに指先を拭う。
衛生面に気を使っているのなら、ちょっと矛盾しちゃいないかい?だって布巾もいずれ汚れるぞな。
と小一男子の僕は一丁前にそんなことを思っていて、次第に拭かなくなって行った。すると友達に叱責されるのであった。
「ちゃんと手ェ拭いて食べろや!」
それ以来、そいつの家には行かなかった。
なんでこの場面をよく思い出すのかというと、僕はゲームはしないけれど、パソコンには向かう。
その際、もしカールが食べたくなったら、布巾ってめちゃくちゃ便利なのね。布巾なかったらキーボードがべとべとになるでしょ?
そう。その家でもファミコンのコントローラーが汚れることを防ぐ為に布巾を用意していたのであった。たぶん。
なかなかやるやん!トミナガ!
ちなみにトミナガ、僕が引っ越す際(僕は小二から河内長野に移った)、みんながくれたお別れの手紙の中で、
「なや君はらいねんからカアチナガノにひっこしますが、カアチナガノに行っても元気でいてください」
と書いていた。
もう、間違いには気付いたか?トミナガ。カアチナガノじゃない、カワチナガノだ!
そういう意味では、よく覚えているのが、高校の野球部連中と過ごした時間。それはここにもよく書くよね。
もうひとつが、20代の頃に仲間に加わったスカバンドのこと。
地元で先輩らが仲良し男女グループを作っていて、それに憧れていた僕が初めて加わった男女グループだった。
男女間の友情。変な感じにはならない。…ってお前、付き合ってたやないかッ!やかましいッ!(情緒不安定)
今も有り難いことに、仲間に入れてもらっている場所があるのだけど、いつかはみんな忙しくなってなかなか会えなくなったりして…
今が思い出になってキラキラ輝くのだろうけど、それは嬉しいようでやはり少し寂しくもあり。
グリフィスが悪魔に魂を売った気持ち、俺、実は少しわかるのな。(漫画『ベルセルク』参照)
昔、コカ・コーラのCMで、仲間たちで思いっきり遊んだ後に
「こんなに楽しいのに、なんで泣きたいんだろう」
って女の子が独りごちるのがあったけど、あれは秀逸な作品だね。
僕は常にそんな想いを引き連れているように思う。
ほとんどの週末を僕はひとりで過ごしていて、しまいには病気になるんじゃないか、と思うほどひとりだけど。
いやはや、まだまだひとりでやらんといかんことが一杯あるでな。だけど集中力は枯れ果てている。時間を無駄に捨てている。
こういう時間って、思い出にはならないのだろうな。
何はなくとも誰かといて、過ごした時間のみが思い出になるのだろう、と最近よく考えるのです。
中島みゆき様が見事に言ったものだよ。
“誰だって旅くらいひとりでもできるさ でも
ひとりきり泣けても ひとりきり笑うことはできない”
別にひとりで居たいわけではないのだけど、仲間がいないのだから仕方がない。
ステージには戻りたい。本当はバンドがいいけど、メンバーいないなら、ひとりでやるしかない。
そしてひとりで取り組む。
これがねー、苦手な作業。パソコン使って音楽活動。全然わからんちー
しかし残された道はこれしかない模様。
つまりこの記事も現実逃避の理をあらわす。
野球のボールがころころと転がる。
その隣にはバスケットボール。
天井に向けて放り投げてはキャッチする。
たまに捕り損じて、床にダン!ガン!バン!
そのうち下の住民から苦情が来るよ!
「こら!野球のボール投げてるやろ!」
そんな時の為のバスケットボール。
「いいえ、バスケのボールです」
マジメな登場人物を現代特有の冷やかな目線で描いたおバカっぷりは実に愉快で、まだまだネタは豊富にありそうです。
けどふと思ったのさ。
これ、子供に見せていいのかしら?と。
よく言うのは、「子供って大人が思っている以上に賢いよ」ということ。
それはそうだと思う。
だけど僕は同時に言いたい。
「子供って大人が思っている以上に純粋だよ」と。
大人になるというのは、純粋さを壊すことと言えるかも知れない。
だけどその純粋さを、どれだけ保って行けるかが、ニンゲン個人の価値の見せ所だと思うのです。
我々大人が一番にやるべきことは、子供たちの可能性を刈り取らず育てることだと思うのです。
この間、放送してましたね。
『おもひでぽろぽろ』
理由はないけど好きな作品で、結構日頃、頻繁に思い出す場面も多い。
ジブリ作品は声優の起用に問題があるとよく言われ、僕も頷かざるを得ないところがあるのだけど、
この作品は今井美樹さん、柳葉敏郎さんと当たりだと個人的には思う。
僕が子供の頃から、年に一回ペースで放送されてると思うけど、子供が観てもあんまり面白くないアニメ映画かも知れないね。
ちょうど主人公と同世代になった今だから、このストーリーの深みが判る。
…と思いきや!俺、主人公の年齢飛び越してた!ひとっ跳び!あいやーッ!(主人公は29歳。
勤め先に長期休暇届を出して、田舎で農業を手伝う女性の話。
その旅に、小学五年生の"わたし"を連れて行くことになる。
場面ばめんで、当時の思い出が蘇るっていうお話。
小学五年生。
そんなに鮮明に憶えてないなぁ。初恋は5年生だったけど。
中学も高校も、ついこの間のように思っていたけど、思い出そうと思うと、映画ほど鮮明に蘇って来ないよな。
小学校の時の友達で、今でも付き合いがあるのはひとりだけかしら?そいつは今でも未来を見据えているやつで、一応僕もそのつもりだから、あんまり会って飲んでも、思い出に浸るってことはしないしな。それも思い出せない要因のひとつなのかな?
小学生の頃を思い出そうとすると、よく浮かぶのがデイキャンプの日。
学校で飯盒炊爨(ハンゴウスイサンってこんな難しい漢字なの!?知らなんだ!)して、カレーを作って夜7時ごろ帰るっていう催し。
「これなんでやるんだろう?」「学校でこんなことして何が楽しいのだろう?」
そんな風に考えていたのは僕だけじゃなかったはず。そんなレクリエーション、すっかり忘れたって人が殆どだと思う。何か事件が起きたわけでもない。
そんな何でもない一日を、僕はふと思い出すことがある。
何なんだろうね?
思いもよらぬものが記憶に残ったりするもんだね。
もうひとつ、思い出す場面があった。それは小学一年生の時。
たまに食べたくなるよね。昨日買って来ました。
カール見ると必ず思い出す。初めて行った友達の家でファミコンしてたら、不愛想な友達の姉ちゃんが大層に皿にカールを盛って持って来てくれた。皿は盆の上に載っていて、濡れた布巾がその傍らに。
「ちゃんと手拭いて食べや」
え?なに?その文化。どうすんの?最初におしぼりよろしくガッツリ拭いてから食べればいいの?それともつまむ度に指先を拭くの?
様子をうかがっていたらどうやら後者のようで、友達は食べるごとに指先を拭う。
衛生面に気を使っているのなら、ちょっと矛盾しちゃいないかい?だって布巾もいずれ汚れるぞな。
と小一男子の僕は一丁前にそんなことを思っていて、次第に拭かなくなって行った。すると友達に叱責されるのであった。
「ちゃんと手ェ拭いて食べろや!」
それ以来、そいつの家には行かなかった。
なんでこの場面をよく思い出すのかというと、僕はゲームはしないけれど、パソコンには向かう。
その際、もしカールが食べたくなったら、布巾ってめちゃくちゃ便利なのね。布巾なかったらキーボードがべとべとになるでしょ?
そう。その家でもファミコンのコントローラーが汚れることを防ぐ為に布巾を用意していたのであった。たぶん。
なかなかやるやん!トミナガ!
ちなみにトミナガ、僕が引っ越す際(僕は小二から河内長野に移った)、みんながくれたお別れの手紙の中で、
「なや君はらいねんからカアチナガノにひっこしますが、カアチナガノに行っても元気でいてください」
と書いていた。
もう、間違いには気付いたか?トミナガ。カアチナガノじゃない、カワチナガノだ!
そういう意味では、よく覚えているのが、高校の野球部連中と過ごした時間。それはここにもよく書くよね。
もうひとつが、20代の頃に仲間に加わったスカバンドのこと。
地元で先輩らが仲良し男女グループを作っていて、それに憧れていた僕が初めて加わった男女グループだった。
男女間の友情。変な感じにはならない。…ってお前、付き合ってたやないかッ!やかましいッ!(情緒不安定)
今も有り難いことに、仲間に入れてもらっている場所があるのだけど、いつかはみんな忙しくなってなかなか会えなくなったりして…
今が思い出になってキラキラ輝くのだろうけど、それは嬉しいようでやはり少し寂しくもあり。
グリフィスが悪魔に魂を売った気持ち、俺、実は少しわかるのな。(漫画『ベルセルク』参照)
昔、コカ・コーラのCMで、仲間たちで思いっきり遊んだ後に
「こんなに楽しいのに、なんで泣きたいんだろう」
って女の子が独りごちるのがあったけど、あれは秀逸な作品だね。
僕は常にそんな想いを引き連れているように思う。
ほとんどの週末を僕はひとりで過ごしていて、しまいには病気になるんじゃないか、と思うほどひとりだけど。
いやはや、まだまだひとりでやらんといかんことが一杯あるでな。だけど集中力は枯れ果てている。時間を無駄に捨てている。
こういう時間って、思い出にはならないのだろうな。
何はなくとも誰かといて、過ごした時間のみが思い出になるのだろう、と最近よく考えるのです。
中島みゆき様が見事に言ったものだよ。
“誰だって旅くらいひとりでもできるさ でも
ひとりきり泣けても ひとりきり笑うことはできない”
別にひとりで居たいわけではないのだけど、仲間がいないのだから仕方がない。
ステージには戻りたい。本当はバンドがいいけど、メンバーいないなら、ひとりでやるしかない。
そしてひとりで取り組む。
これがねー、苦手な作業。パソコン使って音楽活動。全然わからんちー
しかし残された道はこれしかない模様。
つまりこの記事も現実逃避の理をあらわす。
野球のボールがころころと転がる。
その隣にはバスケットボール。
天井に向けて放り投げてはキャッチする。
たまに捕り損じて、床にダン!ガン!バン!
そのうち下の住民から苦情が来るよ!
「こら!野球のボール投げてるやろ!」
そんな時の為のバスケットボール。
「いいえ、バスケのボールです」