たぎり屋会報

たぎり屋ナヤのお送りする日々の回想、雑文。

2015年08月

最近ね、日本昔話をパロッたCMがよく放送されてるよね。
マジメな登場人物を現代特有の冷やかな目線で描いたおバカっぷりは実に愉快で、まだまだネタは豊富にありそうです。
けどふと思ったのさ。
これ、子供に見せていいのかしら?と。

よく言うのは、「子供って大人が思っている以上に賢いよ」ということ。
それはそうだと思う。
だけど僕は同時に言いたい。
「子供って大人が思っている以上に純粋だよ」と。
大人になるというのは、純粋さを壊すことと言えるかも知れない。
だけどその純粋さを、どれだけ保って行けるかが、ニンゲン個人の価値の見せ所だと思うのです。
我々大人が一番にやるべきことは、子供たちの可能性を刈り取らず育てることだと思うのです。




この間、放送してましたね。
『おもひでぽろぽろ』
理由はないけど好きな作品で、結構日頃、頻繁に思い出す場面も多い。
ジブリ作品は声優の起用に問題があるとよく言われ、僕も頷かざるを得ないところがあるのだけど、
この作品は今井美樹さん、柳葉敏郎さんと当たりだと個人的には思う。

僕が子供の頃から、年に一回ペースで放送されてると思うけど、子供が観てもあんまり面白くないアニメ映画かも知れないね。
ちょうど主人公と同世代になった今だから、このストーリーの深みが判る。
…と思いきや!俺、主人公の年齢飛び越してた!ひとっ跳び!あいやーッ!(主人公は29歳。老けてる)

勤め先に長期休暇届を出して、田舎で農業を手伝う女性の話。
その旅に、小学五年生の"わたし"を連れて行くことになる。
場面ばめんで、当時の思い出が蘇るっていうお話。

小学五年生。
そんなに鮮明に憶えてないなぁ。初恋は5年生だったけど。
中学も高校も、ついこの間のように思っていたけど、思い出そうと思うと、映画ほど鮮明に蘇って来ないよな。
小学校の時の友達で、今でも付き合いがあるのはひとりだけかしら?そいつは今でも未来を見据えているやつで、一応僕もそのつもりだから、あんまり会って飲んでも、思い出に浸るってことはしないしな。それも思い出せない要因のひとつなのかな?

小学生の頃を思い出そうとすると、よく浮かぶのがデイキャンプの日。
学校で飯盒炊爨(ハンゴウスイサンってこんな難しい漢字なの!?知らなんだ!)して、カレーを作って夜7時ごろ帰るっていう催し。
「これなんでやるんだろう?」「学校でこんなことして何が楽しいのだろう?」
そんな風に考えていたのは僕だけじゃなかったはず。そんなレクリエーション、すっかり忘れたって人が殆どだと思う。何か事件が起きたわけでもない。
そんな何でもない一日を、僕はふと思い出すことがある。
何なんだろうね?
思いもよらぬものが記憶に残ったりするもんだね。

もうひとつ、思い出す場面があった。それは小学一年生の時。
image
たまに食べたくなるよね。昨日買って来ました。
カール見ると必ず思い出す。初めて行った友達の家でファミコンしてたら、不愛想な友達の姉ちゃんが大層に皿にカールを盛って持って来てくれた。皿は盆の上に載っていて、濡れた布巾がその傍らに。
「ちゃんと手拭いて食べや」
え?なに?その文化。どうすんの?最初におしぼりよろしくガッツリ拭いてから食べればいいの?それともつまむ度に指先を拭くの?
様子をうかがっていたらどうやら後者のようで、友達は食べるごとに指先を拭う。
衛生面に気を使っているのなら、ちょっと矛盾しちゃいないかい?だって布巾もいずれ汚れるぞな。
と小一男子の僕は一丁前にそんなことを思っていて、次第に拭かなくなって行った。すると友達に叱責されるのであった。
「ちゃんと手ェ拭いて食べろや!」
それ以来、そいつの家には行かなかった。
なんでこの場面をよく思い出すのかというと、僕はゲームはしないけれど、パソコンには向かう。
その際、もしカールが食べたくなったら、布巾ってめちゃくちゃ便利なのね。布巾なかったらキーボードがべとべとになるでしょ?
そう。その家でもファミコンのコントローラーが汚れることを防ぐ為に布巾を用意していたのであった。たぶん。
なかなかやるやん!トミナガ!
ちなみにトミナガ、僕が引っ越す際(僕は小二から河内長野に移った)、みんながくれたお別れの手紙の中で、
「なや君はらいねんからカアチナガノにひっこしますが、カアチナガノに行っても元気でいてください」
と書いていた。
もう、間違いには気付いたか?トミナガ。カチナガノじゃない、カチナガノだ!

そういう意味では、よく覚えているのが、高校の野球部連中と過ごした時間。それはここにもよく書くよね。
もうひとつが、20代の頃に仲間に加わったスカバンドのこと。
地元で先輩らが仲良し男女グループを作っていて、それに憧れていた僕が初めて加わった男女グループだった。
男女間の友情。変な感じにはならない。…ってお前、付き合ってたやないかッ!やかましいッ!(情緒不安定)

今も有り難いことに、仲間に入れてもらっている場所があるのだけど、いつかはみんな忙しくなってなかなか会えなくなったりして…
今が思い出になってキラキラ輝くのだろうけど、それは嬉しいようでやはり少し寂しくもあり。
グリフィスが悪魔に魂を売った気持ち、俺、実は少しわかるのな。(漫画『ベルセルク』参照)

昔、コカ・コーラのCMで、仲間たちで思いっきり遊んだ後に
「こんなに楽しいのに、なんで泣きたいんだろう」
って女の子が独りごちるのがあったけど、あれは秀逸な作品だね。
僕は常にそんな想いを引き連れているように思う。


ほとんどの週末を僕はひとりで過ごしていて、しまいには病気になるんじゃないか、と思うほどひとりだけど。
いやはや、まだまだひとりでやらんといかんことが一杯あるでな。だけど集中力は枯れ果てている。時間を無駄に捨てている。
こういう時間って、思い出にはならないのだろうな。
何はなくとも誰かといて、過ごした時間のみが思い出になるのだろう、と最近よく考えるのです。

中島みゆき様が見事に言ったものだよ。

“誰だって旅くらいひとりでもできるさ でも
ひとりきり泣けても ひとりきり笑うことはできない”


別にひとりで居たいわけではないのだけど、仲間がいないのだから仕方がない。
ステージには戻りたい。本当はバンドがいいけど、メンバーいないなら、ひとりでやるしかない。
そしてひとりで取り組む。
これがねー、苦手な作業。パソコン使って音楽活動。全然わからんちー
しかし残された道はこれしかない模様。
つまりこの記事も現実逃避の理をあらわす。

野球のボールがころころと転がる。
その隣にはバスケットボール。
天井に向けて放り投げてはキャッチする。
たまに捕り損じて、床にダン!ガン!バン!
そのうち下の住民から苦情が来るよ!
「こら!野球のボール投げてるやろ!」
そんな時の為のバスケットボール。
「いいえ、バスケのボールです」
    mixiチェック

今しがた、我が家の郵便ポストに一枚のチケットが届いていた。
とあるコンサートのチケットで、公演日は来週の日曜。
僕にとっては未知の領域で、全く触れたことのないジャンルの音楽であろうと思う。
詳しく説明したいが、何も知らない。調べれば何かと情報は上がっているのだろうと思うが、あえてまっさらの状態で初めての音楽に生で触れてみようと思っている次第である。
友人の紹介で、そんな出逢いを果たそうとしているのだが、これを僕はありがたく感じている。
合わなければそれまでで、それだけのこと。
もし合えば、ともすれば、人生を変えることになるやも知れぬ。いやはや音楽とは、常にそんな力を持ったものなので、危険極まりないものである。

全くジャンルは異なるのだが20代前半の頃、当時付き合っていた恋人の影響で、同じような体験をしたことがある。
それまでロック一色で革ジャン野郎だった僕が、初めて行ったJAZZのコンサートだった。
場所は京都。河内長野からはるばる電車を乗り継ぎ、河原町でその出逢いはあった。
まだ幼かった僕にも漠然と、『音楽』の何たるか、というイメージがあった。
そのイメージとばっちり重なる音楽だった。
また日本の古き良き地に、その斬新な音楽は見事にはまった。
或いは斬新とは、古き良き地にて生まれゆくモノなのかも知れない。

来週のチケットを受け取って、ふとその日のことを思い出し、You Tubeで検索してみると、上がっていた。
板橋文夫。
名前は忘れていなかった。
そして、2013年のコンサートの様子のようだが、僕が観た十数年前と、奏法が全く変わっていなかったのが嬉しかった。
僕の記憶のままの板橋文夫が、変わることなくピアノをぶっ叩いていた。



僕はJAZZには行かなかったけど、多大な影響は受けてるように思う。
(※尊敬の念を込めて、呼び捨てとしました。)


昨日、録画していた『鶴瓶の家族に乾杯』を観ていたのだけど。
ロケ地はフィンランド、ヘルシンキ。ゲストは松下奈緒さん。

松下さんがたまたま入ったお店に、本の装丁なんかをされている女性アーティストがいて。
それを見た松下さんが
「これ、日本の和紙に似てるね」
と言った。すると女性アーティストが答えた。
「私、日本に住んでいたことがあるの。そこで日本の和紙と出逢ったのよ」
ご自宅には紙すきの道具なんかがあり、日本の伝統が遠く北欧の地で受け継がれていた。
鶴瓶さんが入った店は、日本人が営むカフェ『水(mizu)』。
あんこを使ったスイーツをメインに売っているお店だった。
ご主人はフィンランド人。
鶴瓶さんの
「ご主人のご両親とはうまく行ったの?」
という問いに
「最初のうちは言葉が通じないから、うまく行ってました」
と笑って答えた。なんかその言葉が痛快でね、僕は不思議と晴れ晴れした気持ちになった。

いやしかし。
遠い外国の地で、日本を大切に思ってくれている人がいたら、僕は別に何にもしてないけど変に鼻が高いというか。
「日本人に生まれて良かった!」と言えるような人生を歩みたいし、そんな日本を守って行きたいと思うね。


そんな細やかな体験が、僕の進むべき道を非常にうっすらとではあるが、照らしてくれたように思う。
    mixiチェック

久し振りに週末公園バスケに興じ、今これを書いている。
流石に夏の間は炎天下の中でシュートする気にもなれず、日記で確認してみると、6月28日以来の公園バスケでした。太陽が最大のディフェンス!なんちて。
殺人的な暑さは去ったとはいえ、まだまだ8月の空。Tシャツはもう吸うとこがないまで汗に濡れ、油断すればうなじの辺りから囁きかける熱中症予備軍。「危ない!」と木陰に逃げ込み持参した水を飲む。足元には生き切った蝉たちが腹を上にして刻が来るのを待つ。木陰に吹く風は、10日前とはまるで異なるもの。空気は秋を先取りしているようだ。肌に纏わりつくTシャツは冷えて、寒さまで感じさせた。

サークルのバスケは毎週、雨が降ろうが仕事が忙しかろうが休まず参加している。ほんの少しだけ、バスケットボール的動作が判って来て、楽しい反面、考え過ぎて上手く行かないことも実に多い。だいたい僕は考え過ぎてしまう性質で、身体が硬くなることが多い。これは何につけ、いつも僕の最大の課題。バスケを始めたのはある意味、この習性を断ち切ろうと思ったところも多分にあったのだけれど、バスケとて例外ではなかった。「楽しい」から始まった事柄は、「楽しい」に辿り着くまで努力が要るようである。

そういう意味では今日の公園バスケは、大きな何かを掴んだように思う。
何を掴んだのか、と握った手の中を開いて見てみると、蝉の死骸。あーん、えらいもん掴んでもたぁー



「なんでバスケを始めたの?」
と聞かれると、僕は、
「ムシャクシャしていた。何でも良かった」
と答えるのだけど。いや、答えないけど、これそんなに間違ってもいないのね。理由なんて判らないけど、何か、身体を動かすことがやりたくなったのね。ちょうどそうなって来る年頃なのだと思う。バスケなら、リングとボールさえあれば、ひとりでもできると思ったから。それは前に述べた。(←司馬遼太郎風)
「だからもし、高校野球部の仲間に『野球やろう』って声をかけられたらやってたと思う」
というのもいつも付け加えて話していた。
果たして先週末、ひとりで酒飲んで酔っ払ってうたたたたたたた寝していたら、その高校野球部員から電話がかかってきた。
「あ、寝てた?」
「いや、寝てないよ」
あれなんで寝てない、と答えるのかね。
珍しいヤツからの電話だったので少しビビった。誰かに何かあったのか?
聞けば再来年の公式戦出場を目指して、月一で練習をしよう、ということだった。やっぱりそういう年頃なんだね。もちろんオッケーした。月一ならバスケも続けながらできる。それに、野球もそうだけど、大好きな仲間たちと、月一で会える、というのがとても魅力だった。
高校アホ野球部の連中と会うと、必ず思うことがある。
「こんなに笑ったの、前にこいつらと会って以来やわ」
今も素敵な友達は沢山いるのだけど、やつらと会うと、いつもそう思う。高校卒業して15年。16年?あいつらと離れずにいることが本当に幸せだと感じる。そしてチーム結成。山のように築いて来た思い出は、さらに思い出を塗り重ねることになるようだ。いやー好きやわ。アホやけど。全員アホやけど。マサとかも実はアホやけど。俺以外アホ。

この間ね、兄貴が娘ふたり連れて名古屋から帰って来て。母も山口から帰って来て。久し振りに家族で会ったんさ。
姪はふたりとも中学生。もうダサいオジサンとなんか遊んでくれんのやろうな、と心配していたのだけど、全然変わってなくてね。素直にすくすくと育ってくれてて本当に安心した。アホやけど。いやいや!姪らはアホやない!
長女はギターを始めてて、俺が弾くギターを羨望の眼差しで眺めてくれていた。気の合う兄貴とは当時のNBAの話、音楽の話、酒の話、それらにちょいちょい相撲の話が割り込んできて、どっぷりと酔っ払った。隅から隅までずずずい~っと酔っ払った。
久方ぶりの二日酔い。
次の日、体調を崩した叔父さんを、パパは笑う。何となく嬉しそう。アーティストは体調を崩すもんだと思っているよう。
そういえば俺も、そんな人間に憧れた時期もあったかなあ?
けど今はそれが嫌で、運動をするようになったのだ。
自分の音楽活動が枯渇し、スポーツ野郎になったってぇ言うのに、体調を崩すなんて…。情けないし悔しいし…。
まあ、何事もなくその日の晩もバッツリ飲んだけどね。昔兄貴がバイトしていた大吉で。子供らも大喜び。いつかこの子らも酒飲むようになるのかなあ?けっこう近い将来だなあ。一緒に飲んでくれるんかなあ。その頃俺は、一体何をして…

とね。子供らの成長は早く、おっさんは思う存分止まっているので、すぐそんなことを考えてしまう。
バスケは楽しいよ。野球も楽しみ。2か月半続けている筋トレで少ーしだけ大きくなってきた身体も嬉しく感じている。(あ!そうそう。体重がついに学生時代の頃に戻った!58㎏!ずーっと54~55㎏くらいだったのに。筋トレ、プロテイン万歳!)

だけどね、スポーツ頑張っても、いい汗かいて楽しんでも、何かが足りない。
スポーツ始めて拾った一番大きなものは、それに気付いたことかも知れない。

楽しむのって難しい。
「楽しんでやりなさい」
って言われるけど、みんながそれをできるもんじゃない。確かに僕は道を間違えたのだと思う。だからと言って、今すぐシフトチェンジできるもんじゃないのよ。

あ、音楽の話ね(笑)
女じゃないよ!いや、それもめっちゃあるけど。めっちゃ不足しているけれど(笑)
彼女と幸せでも、いつもなんか空しくなっちゃうのよなぁ。
音楽だけなんだなぁ、僕を満たしてくれるのは。
判ってるのなら、いくつになろうがやるしかないわね。
今、開かんとしている扉はえらいこと分厚い造りなのだけど、今の僕なら楽しんでできそうな気もしてるんだよなー。
だって、スポーツマンなんだもん♪


雑文。
    mixiチェック

つまり、だまされ上手が減って来ているのだと、言える気がします。

いつも言うように、音楽なんてものは、無くて良いものです。無くても生きて行けます。無くても生きて行けるものでありますから、真実を説くものである必要などないのです。映画も文学も同じです。嘘っぱちでよい。みんな当然判ってて感動するのです。映画の中で、例えば原田知世さんが亡くなられるとしても、もちろん原田知世さんは現実には健在です。その演技、ストーリーに我々が涙するのは、想像力が作用しているからです。

その想像力は、現実に直結します。

フィクションに揺り動かされた心が次の日、ノンフィクションを見据えます。それが“無くて良いもの”のささやかな役割だと思っています。

街を歩けば、作業着姿の人やスーツ姿の人、屋号の入ったエプロンつけてる人や重そうな鞄を提げた人。
彼らの仕事ほど、音楽は役立ちはしません。やっぱり無くて良いものです。
しかし彼らが倒れそうになった時、支えてくれるのは或いは音楽なのかも知れません。
「あの歌を聴いて変わりました」
テレビなんかでそんな風に言う人を、僕は信じます。“無くて良いもの”が“無くてはならないもの”を動かした瞬間です。“無くてはならないもの”とはつまり、人です。“無くてはならないもの”を生かす為には“無くていいもの”が意外と大切だったりするんですね。

”無くていいもの”を提供し金銭を稼ぐことを生業とする、そう決めた人は、ピエロであるべきなのです。素顔は見せるべきではない。それがプロフェッショナルではないでしょうか?
ディズニーランドでミッキーが着ぐるみ脱いで、政治情勢語り出したら、どう思いますか?「いや、アリやで」という人もあるかも知れません。ただ、僕なら冷めます。言いたいこともあるのだろうけど、ミッキーにはミッキーのままでいて欲しい。
ではミッキーは世界を動かせないのでしょうか?
そうですね。直接的には動かせないかも知れません。だけど、ミッキーの届けたハッピーが人を動かします。作業着姿の人や、スーツ姿の人、屋号の入ったエプロンつけてる人を動かします。彼らが提げている鞄が、少しくらいは軽くなるかも知れません。
“無くていいもの”、つまり娯楽を提供する人の仕事はそこまでであるべきだと思います。後は、それを受け取ってくれた人に委ねるしかありません。その放漫さも、プロフェッショナルの勇気なのだと思います。

さて受け取った側。
どうか、だまされ上手であって欲しい。スポーツ選手が歯を食いしばって1点上げるのを、他人事だと見ないで欲しい。“無くていいもの”を真剣な眼差しで歌う人を、涙流して演じる人を、「どうせ商売でしょ」と見ないで欲しい。自分とつないで欲しい。力道山の空手チョップに自分の弱さを打ち砕かれた人、王の一本足打法に夢を乗せた人。僕はその時代を生きたわけではないけれど、そういう人が現代、急激に減って行っている気がする。自分の立ち位置と、プロの舞台とを切り離して考えている人が多すぎる気がする。切り離すがゆえに、現実は更に現実然とし、つまらないものになっていっている。それを「つまらない」と嘆くのなら、感動を己の足元にちゃんと連れてきてほしい。重い一歩目が、もし動かせるなら、思いっきりだまされてみるのも悪くないんじゃないでしょうか?
世の中に意見を投じるのはピエロではなく、僕らなのだと思うのです。その時初めて、ピエロは浮かばれるのだと思っています。
現実は冷たく、虚像はどこまで行っても虚像のままで。
しかしそのふたつは、つながっているはずなのだと思います。
つながってこそ、両方に色彩が生まれるのだと思います。

僕はどうやら、都会の真ん中で仕事をし、都会の真ん中で暮らしているようです。
仕事中も、プライベートでも、常に人ごみをかき分けて歩かねばならない。
ここではひとりになんてなれない。隠れる場所すらない。「みんなよく、ここで生きて行けるなぁ」と、田舎育ちの僕なんかは思ってしまいます。
ある時、ふと思いました。その人ごみこそ、みんなの一番の隠れ場所なのだと。人ごみという名の隠れ蓑です。個人をさらさなくて良い。自分の考えが露呈されずにすむ。「ああ、みんなこの街中に隠れているのか」と僕は合点がいった。
あるいは地方の方が、隠れ場所がないのでしょうね。“自分”をさらけ出さなくてはいけない。前から後ろから、頭の先から足の先まで全部見られるわけですから。腹括って生きてる人は、意外と地方に多いのかも知れませんね。
都会では人が多すぎて、自分の思いを貫き歩いたら、別の思いを抱えた人と、ぶつかるかも知れんもんな。それは本当。仕方なし。だからって諦めてしまうのではなくて、理想を追ってほしいと考えています。
違う考えの人は確実にいる。それを受け入れて、自分の考えも大切に運んでほしい。
理想を追うのはとても疲れることで。その疲れを癒すのは“無くてもいいもの”だと思うのです。理想を忘れさせないのは、“無くていいもの”だと思うのです。

だからこそ、腹に力を込めて、僕は言いたいのです。
悩説もまた、“無くていい駄文”なのです。
    mixiチェック

このページのトップヘ