たぎり屋会報

たぎり屋ナヤのお送りする日々の回想、雑文。

2015年01月

ふいに再生した

Rain Dogs
Tom Waits
Island
1990-06-15


に泣きそうになったナヤと申します。
一体どこの国の物語なのだ、このアルバムは(笑)

うちの上の住民が毎日毎日暴れ倒しているのは
一体どういう料簡か。

子どもがいるのなら許す。
子どもを授かろうとしての行為ならもうチックと
おとなしいにやられ。



いやー
先週、「料理始めました」的なことを書きましたけれど。
全然しなくなった(笑)
毎日忙しくなっちまってね。
別の料理に興じておるのです。それが本業。
「腹なんか減らんかったらええのに…」なんて思ってます。
おかげで左指先は久し振りにカチカチ。
右人差し指の爪、左サイドはガリガリ。
ギタリストはこの部分の爪は切らないんです。
勝手に削れて無くなるから。

最早、年単位で数えられるくらい
ギターを弾かない時期を経ましたけど、
ここに今、ギタリストとしてまた存在しております。

毎日よーギター弾いてるなー
中学生の放課後くらい弾いてる。
毎日「あ、もう0時か!」の連続。
酒量も当然減っている。

ただ昨日は休業しました。
一週間ぶりくらいの熱燗。
フライパンも用いました。
フライパンで燗したわけではないですけど。

で、溜まってた『マッサン』でも観ようとテレビつけたら
何の番組か知らんがフラッシュモブ動画紹介してて。
その後、日本人のヒューマンビートボックスやってて。

もう感動でひとり号泣。

(その後、CMで『金麦』が流れて、
僕かぁーキモチワルイ顔でニタニタ。
ダンレー ダンレー ハハハハハー)



(今、記事を書く手が30分くらい止まってました。
すげー。ずっと観てられるわ笑)
恐れながら。「いつか共演してみたいなぁー」

フラッシュモブの方がさー
ビートルズの曲でね。

あ、動画あった。(また書く手が止まるわ笑)



これやっぱこの曲やから感動するってのもあるよね。

こら、どうぶつたち。
ニンゲンにも、すげーヤツらっているんだぞ!

とにかくテレビに子どもが映ってたらついつい観てしまいます。
「どこのジャクソン君やねん」って言われそうですけど。

子どもの発想って本当に凄いですよね。
いっつも感動させられる。
真っ白で、独創的で、ただひたすらにまっすぐ。

“人は皆、生まれてきた時は天才で
大人になるにつれ、馬鹿になって行く”

とは森博嗣先生の小説に出てくる言葉だけど、
いつもすぐその言葉を思い出す。
まったくだ、と思う。

子どものままでええのに、なんで大人みたいな
ツマランもんになっちまうんだろうねェ。

上記の台詞が出てきたのは『すべてがFになる』
だったと思ったのだけど、
今、本棚から引っ張り出してきてパラパラ繰ってみたけど
見つからんな。違ったかな?『四季』四部作の方だったかな?

ところで『すべてがFになる』、ドラマ化されたらしいね。
もう終わったのかな?
このベストセラー、ファンの間では
『F』と略した愛称で呼ばれてるのだけど。
僕は二十歳くらいの頃に読んで衝撃で。
よく友人に勧めたな。
なんで今更ドラマ化?という思いは否めないのだけど。

このドラマ、放送中に職場の事務所で
女性スタッフたちが噂をしてたんですよ。
それでドラマ化されたことを僕は知ったんですけど。

「全然意味判らんわー」と。
「あれ、博士の名前、なんて言ったっけ?」
と話してたもんだから、傍らで聞いていた僕が
「真賀田四季でしょ?」と。
そういう経緯。
で、
「犀川先生は誰が演じてるんですか?」
と聞いたわけ。
「○田×雄」
知らんなー
「じゃあ西之園萌絵は?」
「○谷×子」
知らんなー
真賀田四季も含め、
役者さんの名前が全く判らんかった僕なのであります。

今は重松清氏の『流星ワゴン』やってるんでしょ?
これは僕は2年前くらいに読んだ。
これも同じ事務所の経緯で知り及んだのですけど、
「あの後、どうなるの?」
ってスタッフに聞かれ、答えられない。
2年前に読んだ本、憶えてないさ。
その時はよう答えんかったのやけど、
つまり重松清氏の小説って、
結果がどうなる、って面白さではなくて、
「その時、彼は何を感じたか」
が重要だと思うのね。
僕は月9とかタクキムとか観ないから
詳しくは知らないのだけど、
重松清氏の作品をドラマ化するのであれば、
その辺の感じはちゃんと表現してくれてると思うのだけど。
最近は大河をちょくちょく観るけど、
意外とちゃんとしてると思うから。

ただ。
視聴者の方は大丈夫か?
ストーリーや結果ばかりに捉われ過ぎちゃいないか?
それが心配になる。
そういうこっちゃないよー
ストーリーや展開ばかりを欲するのなら、
ドラマなんて要らないでしょー。朗読でええやん。
役者さんの名演技もちゃんと見てあげてー
ちゃんと見てあげたらば、
ドラマからきっと大根はいなくなるはずだからー

それにしても何でもかんでもすぐドラマにしちゃうんだなー
正解のドラマ化もあるけど、本の方が面白いもんもあるから
本も読んでみてねー

今はこれを読んでます。


これは時代(江戸末期)に沿った作り話だと思うのだけど、
相変わらず筆者(司馬氏)が文章中に顔を出してきて
時代背景を語ったり、登場人物の心中を覗いてみたり。
まるで本当にあった話のよう。
この作家さん、凄いわ。
売れるで(笑)

これがドラマ化されたら是非観たいなー
けど俳優人はどうせ、ほとんど俺、知らんのやろうなー



萌絵が学生のように手を挙げて言った。いや、彼女は正真正銘の学生である。
「Dというのは、何のことだったのですか?」
悩はすぐ答えた。
「Dはドラマのことだよ」


(『すべてがFになる』講談社文庫464頁より引用、変更)
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「数字的には大鵬さんを越えたかも知れませんが、精神的な部分ではまだまだだと思うので…」

優勝インタビューで白鵬がそう語った。

相撲ファンとして。
これから何年ファンを続けるのか判らないが、きっとずっと意識し続けた記録だったと思う。

優勝、32回。

これが今は亡き、大鵬さんの記録。
もし現代に、この白鵬翔という男がいなかったら、
「凄い横綱が居たものだな」
と、思えたのかも知れない。

優勝、33回。

モンゴルから来た痩せっぽちが、大相撲を更新した。

種も仕掛けもない。
我々の目の前で、圧倒的な心技体で、更新した。

十三日目。
稀勢の里戦。
仕切りで白鵬の顔が、横綱の顔から
朝青龍から初金星を奪った19歳の若造の顔に戻っていた。
その顔で、早々と優勝を決めた。

優勝インタビューを見て、僕は思った。

ああ、彼はずっと若造だったのだ。
29歳。
69代横綱は、何のことはない。
一匹の若造だったのだ。
やはり、種も仕掛けもないのであった。





豪栄道が角番を脱出。
「むしろ付き人の方が涙ぐんでいた」
と、リポーターが伝えた。

時天空が勝って花道を下がった時、
入場前の旭天鵬に頭を下げた。

これは、今場所の話ではないが、
栃煌山が千秋楽で勝った時、
先に十両優勝を決めていた栃ノ心が、
支度部屋でモニターを見てガッツポーズしていた。

豊真将引退。
その会見で、鶴竜の土俵入りの太刀持ちが出来なくなることを一番嘆いていた。

同じく、日馬富士が横綱昇進した時、
同部屋の安美錦が土俵入りに加われることを歓喜し、
逆に宝富士が十両に落ちてしまって、それに加われないと泣いた。
今の宝富士の活躍は、それを目指したことも関係あるのかも知れない。
今は立派に太刀持ちを務めている。

相撲は個人の競技なので。
胴上げや円陣というようなものがない。

ただ文字通り、同部屋では同じ釜の飯を喰らうわけで。

その友情や兄弟関係は、
非常に厳かに熱くあるのだった。
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皆様。
わたくし、ナヤは大変なものに手を染めてしまいました。
それだけは、それだけは手を出してはいけないと、
自身、何度も言い聞かせ、思い留まって来たにもかかわらず、
その渦中に身を投じてしまいました。
今後、ご迷惑ご心配、嫌な思いをさせることになるかも致しません。
どうかお許し頂き、経過をお見守り戴ければ
これ幸いに存じます。





ええ。
わたくしが手を染めてしまった事柄。そうそれは。
皆様のご想像通り、“料理”で御座います。
きっかけは些細なことで御座いました。
ある週末、ふと頭をよぎったのです。
「あ、今宵は豚肉と野菜炒めよ」
まるで至極当然のように、
数ヶ月前からその日は料理する日と
定められていたかのように、
当たり前にそれらの食材を買い物籠に放り込んでいました。
あ、野菜と言ってもすでに切られてきのこ類と一緒に、
袋詰めされたもの。
当たり前にフライパンに油を引き、
肉をジュージュー云わせ、ざるで洗った野菜をその上に
初めてなのに手馴れた手つきで投じていました。
塩胡椒でのみ味付け。
「え?自分でやってこんなに美味くなるの?」と驚きました。
ただ、肉が硬かったので、その幾日か後、
もう少し高価な肉を購入し再挑戦。
ヒトの欲望は枯渇することを知らず、
物足りなさを覚えるのでありました。
そして山口の母に電話。「何が足りない?」と。
「私はコンソメを入れる」と教えて頂きました。
後日、職場の上司の方にその話をしました。
最近のわたくしのフライパン事情をです。
その方とはよく美味いものの話を興じるのですが、
「ウェイパー入れたらええねん」と。
その帰り、スーパーに足を運んだわたくしの籠の中には
ウェイパーを見止めることが出来ました。
早速使ってみたいが、その日は食材はない。
試しに、冷蔵庫に常備してある生食用のキャベツを炒めてみました。

!!!

キャベツだけ、炒めただけでこんなに美味いの!?
今まで知らずに生きてきた。お母さんごめんなさい。

「ナヤは料理できると思う」
友人の多くにそう言われてきました。
「せえへんわ!俺を見くびるな!」
その都度突っぱねて全否定してきました。
ドコモの社長にとってのiPhoneくらい。
「そのうち自分で野菜買ってくるようになるよ」
母にも言われました。
「馬鹿にすな!俺をそこらの輩と一緒にすな!」
昨日、買い物籠の中にはナス、ピーマン、まいたけ…
台所に立つのってこんなに楽しかったんだね。
「割り箸何膳ご利用ですか?」
レジ女のいつもの挨拶。
昨日、その言葉は聞かれないのであった。

「言うてる間に煮物とか作るわ」
上司の言葉。
その後クックパッドでそれらの調理法を見ていたことは
あまり他人には話さないようにして下さい。







前にもちょっと紹介したのですけど
今、内田百閒読んでるんですね。

百鬼園随筆 (新潮文庫)
内田 百閒
新潮社
2002-04-25


これね。
オモロイ。
ええこと言ってるとか、着眼点が凄いとか、
そんな気難しいこっちゃない。
オモロイ。
電車で読むのは要注意よ。笑っちゃうから。
読んでもらわんことには話すの難しいのだけど、
まあ、捻くれてるわ。
勝手な都合で思想を巡らし、それに伴った行動するわ。

給料なんかなければいいのに、とこうだ。
給料日があるから、借金の返済に追われて、
毎日気を揉まなきゃならん、と。
給料がなければ仕事がどれだけ楽しいか、と。

馬鹿でしょ(笑)

でもね、似たようなことを僕らも日々、考えて生きてると思うのな。
到底他人には理解できんようなことをばね。
いや、理解できんことはないのだろうけど、
理解してはならない、というような見方をしようとするね。
それがこの時代(戦前)の小説では、
その話を聞いた友人なんかが
「成程ね」とか「面白いね」と返すんだな。
現代人なら「はぁ?」で終わり。
シチュエーションにもよる。公衆の面前ではそれ。
一対一の場では聞き入れてくれる。
別に、勝手な思考は、思考であって罪ではない。
「爪楊枝刺してみようか?」までは安全な笑い。
本当に刺したらそりゃ、電車の中で捕まるけど。
だけどね。
今は考えただけでも罰せられそうだ。
罰せられるとまでいかなくても、
迫害されそうだ。
なんともネガティブな世の中になっちまったもんだなぁ。
冗談のひとつも言えやしねェ。

この百鬼園随筆はね、有名図書なわけ。
かなりの人が読んでるのね、昔から。
ベストセラーだった頃、今はゲームにばかり興じているような
そんな人達もきっと手にとってクスクス笑ってたんだと思うのな。
これは前にも書いたとおり最早、滑稽本の一種だと思うからね。
娯楽に過ぎない。

こういうところにもっと興味を示して行って欲しいな。

で、これ読んでて「なんかに似てるなー」と思うわけ。
なんだろ?なんだろ?って考えてたら、悩説なんだね(笑)
あんまり大きな声では言えないけど、俺、過去の記事読んで
自分で笑うもの。「バカかコイツ」って。

そりゃ真剣なこと書くこともあるけれど、
笑って欲しい冗談まで、真面目に取られたりするのね。
お願いだからよー
井伏鱒二、木山捷平、内田百閒、この辺り読んでよねー。
男って馬鹿だからオモロいんじゃなぁい?

現代で。
こういう表現してる人、誰か居たっけなー?と考えたんだね。
そしたら意外なところで発見、思い出した。
千原ジュニアだ!と。
最近テレビではお利口さんにしてはるけど、
あの人のライヴはもうぶっ飛びでね。
もちろんテレビでは放送できんような内容も多いのだけど、
「あ、そこをお笑いにする!?」
みたいなね。目の付け所、そのセンスが抜群だね。
普段テレビに映ってる彼の顔は、1/5くらいだね。
その映ってない部分を知れば、もっと面白さに深みを感じると思うよ。
むかーし、ソロライヴのVHS観たことあるんだけど。
面白さに感動がプラスされたもの。

で。
内田百閒読んで、千原ジュニアのDVDを注文したわけ。
これ、僕の中では繋がってるのね。極自然な道筋。

そろそろ届くはずやねんけどなー
遅いなー日本郵政。ヤマトさんはさっきもう来たのに。
信頼できるのは、ほんまにいつもヤマトさんだけや。
Amazonの注文、配送業者を選べたらええのにね。




白鵬が33回目の優勝を、十三日目で決められました。
凄いことなんだぜ?
千代の富士、大鵬を越えたんだぜ?現役の力士が。
我々がジジイババアになる頃、
一番に名前が挙がる力士になったんだぜ?
凄いなー。
会場の空気を、たったひとりで飲み込んじゃうんだからね。
あれだけ沢山の力士が国技館で十五日間相撲を取るけど、
明らか、ひとりだけ別世界にいるもんね。
そしてまだまだ続けられるはずだしね。
で、いつかは照ノ富士、逸ノ城、輝、阿武咲に
敵わなくなる時が来るんだよな。

古い船には新しい水夫が乗り込んでゆくだろう
古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう

何故なら古い船も新しい船のように新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ新しい海のこわさを


ってそういうことなんかなぁ?

実はこの歌詞の意味、まだあんまりよく判らんのなー

いつか俺でも判るようになるんかなー




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1月17日。
あれから20年も経ったのですね。

 学業を終えて、現在まで。
 なんとなく私のこの歩みは、泥濘の中をゆくようで、確かな足音を感じ得ぬままに、いたずらに時ばかりが過ぎた。缶詰やペットボトルの遥か先の賞味期限を見ては「この頃に自分はどうなっているのだろうか」なぞと思い巡らせもするのだが、瞬きひとつ、賞味期限の先に立っていたりする。賞味せず期限が切れたことを嘆くより先に、その空白の年月を私は眺めてしまうのだ。
 賞味期限の切れた食品は、捨てるよりほか、ないのだろうか。


月曜に前作の悩説を更新いたしましてですね。
確か夜に更新したと思うんですけど。
食後、晩酌後、お茶を飲みながら書いたんですけど。
やれやれと、本を読みながらまた湯呑に剣菱を注ぎ、
ひやで飲んでたんですけどね。

あれ?と。
あれあれ?と。
れれれれあ!と。
ありり…(三行抹消)

どうもこれ、風邪じゃないのか?が舞い降りまして。
こりゃいけねえ!とベッドに飛び込んだ次第です。

鼻の奥、咽喉の奥の繋がったところを
悪魔がでっかいフォークで突きよるわけです。
節々が痛い、とまではいかないのですけど、
変な体勢を取った代償が余韻を引くとでも言いましょうか、豊真将か、
まずいぞ、と。
ルル飲んで寝ました。
そして3日ほどその状態が続き、ルルで応戦。酒は休戦。豪栄道は苦戦。
木曜の午後にはすっかり良くなったのですけどね。

とにかくスポーツドリンクを一時も放さず常備するようにしたんです。
鼻と咽喉の奥が乾くと、身体に違和感を覚えることを感じたので。

普段、僕は慢性的な水分不足を自覚してるんですけど、
たぶんやっと人並みの水分補給を心がけたと思います。

僕の仕事は運び屋なんですね。
車に乗ってる時間が極めて長いのですけど。

厄介ですね。

普段、僕はほとんどトイレに行かない。
朝8時に家を出てから、19時半に帰宅するまで、
一度もトイレに行かないということが殆どです。

それがまあ、スポーツドリン君。
「え!さっき行ったやん!」の応酬ですよ。
高安の突っ張りですよ。
あの松鳳山が千代鳳戦ではまわしを狙って…

えーっと。

面倒臭いんですよ。トイレ探すのが。
どれだけ面倒かと言うと相撲に興味ない人にとっての
今日の悩説くらい面倒臭い。
(勝手に興味ある人は大丈夫と決め込んでますけど)

世の女子諸君なんて、いつも鞄にペットボトル入れてるじゃないですか?
いや、別に男子も持ってるのかな?
僕はとにかく荷物を減らすことに正義を見出しているので、
「欲しくなったら買えばいいや」
くらい。酒の方ですし、自販機でジュースを買うという行為を
滅多に取らないんですな。
だからたまにその行為に及ぶ時、妙に緊張するんです。
「間違えて紅茶花伝押してもうたらどうしよ…」と。
サントリーの自販機の前で。

そのペットボトル持ち歩き運動に、
ささやかな憧れを抱いていたのですけど、
この度、鞄の中にスポーツドリンクを忍ばせました。
こころ、ニヒヒヒ。
大人になった気分。
馬鹿。

でもきっと健康に良いんでしょうね。
そう言えばこの間、オフィス街ですれ違った
サラリーマンふたり組みは
プリン体と尿酸について熱く語っておりました。
明日は我が身なり。


33歳。
その33歳を、全く意識できてないということを、
最近意識するようになった。
たぶん、普通じゃないんだろうな。
いや別に、普通でありたいと思ったことはないですけど、
望んだ33歳ですらない。
歯が欠けたり、目が霞んだり、酒量が減ったり、皺が増えたり。
それらすべて、受け入れられていない。
成長だとすら思っているから救いようがない。
最早、未熟さを芸術化することは出来ませんが、
20代では感じ得なかったことに日々出会う。
それは楽しくもあるのですが、寂しくもある。
ふと我に返って、「あれ?33ってこんなでええのかな?」と
思うことも増えてきた。
奥田民生が33歳の頃、当時の僕は“ええおっさん”として見ていたと思う。
なんだ今の僕は、ええおっさんですらない。

そんな折、
豊真将が引退を発表した。
ひとり部屋で「え~っ!」
声を上げた。ダンレーの結婚よりショックだった。
豊真将は同い年。
寿命の短い角界では、高齢の部類に位置するだろうが、
これは意識せずには居られなかった。

いずれ、僕より年下の無敵、白鵬も引退するだろう。
今、角界を騒がせている新鋭らもいつかはきっと引退する。
僕はそれを見る時、どうなっているのだろう?
まだ泥濘の中を、不確かな足取りで歩き続けているのだろうか?

転機は空から降って来ないね。




随筆が面白い。
エッセイだね。
なんとなく、小説を読むのに比べて、
エッセイを読むのは楽しているような心持ちにもなるのだが。
それは芸術性がないからだろうか?
ここに紹介した木内昇『みちくさ道中』
(これは木内作品を数冊読んでからをオススメする)も
向田邦子『父の詫び状』も本当に面白い。
向田邦子のそれは基本、
体験したことから、「…といえば思い出すことがある」と
昔を回想することが多いのだが、
思い出や暮らした土地が、人を構築するのだと思わされる。
まだ読んでないが、次に控えているのは

百鬼園随筆 (新潮文庫)
内田 百閒
新潮社
2002-04-25


や、

硝子戸の中 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社
1952-07-22


など。
つまり著者の心情がそのまま綴られているわけですから、
もの想う人に興味のある僕にとって、これは実に興味深い。

つまりはこの悩説も、その性質を帯びていると思う。
他の方のブログをあまり読まないので、
一般的な“ブログ”というものが如何なるものか、
僕は知らないのですけど。
たぶんブログとして一般的ではないように思う。
だいたいが長文ですし(笑)

少し前にはmixi日記ってのがあって、
みんな長文を更新していたのですけど、
写真が簡単に掲載できるようになったり、
つぶやき系が流行したりで、
日記は野暮になってしまったのか、
誰も書かなくなってしまった。

「(写真やつぶやきなどの)その向こう側を知りたい!」
と思う僕にとってはちょっと寂しいもので。
もちろん写真やつぶやきだけで、
向こう側(行間)を示す方法もある。
それは僕も目指している方法だけど、
実に技術の要ることだし、
プロでもできていない人が多い現代である。

アップする側も拝読する側も、
あまり行間を意識していないようにも見える。

前にも述べた気がするが、
「USJに行ってきましたー
が知りたいのではなく、USJで何を感じたのかを聞きたいのです。

mixi日記ではそれが知れることが多く、
その人の意外な一面が垣間見れたり、実に面白かったのだが。

作家先生の上手に整理整頓された文章より、
僕ら一般の方々の視線に触れた方が、
僕は楽しいのです。
感じ方も多種多様で、伝え方も多種多様。
それでよい。それがよい。

「悩説読んでるよー」
は、僕の喜びのひとつなんですが、
書くことも楽しい。
書きつつ「へぇ、俺ってそんなこと考えてるんだ」が
これ実に多い。
書き始めると、なんか引っかかりを覚えてね。
「ん?違うぞ?こういうことが言いたいんじゃない」
そう思うと、考えるわけです。
で、うまく書けた時はすごくスッキリする。
手前味噌で恥ずかしいけど、最近一番うまく書けたと
思っているのは個人的に『半纏』なんですけど。
ここだけの話、それ以前は凡打続きでした。
って悩説で公言しちゃったりして。

で、もっとうまく書きたいと思うから本を読むわけです。
不思議なもんでね。
自分で書いたわけでもないのに「そうそう!」って思うのね。
僕の文章ではまだまだ全然そこには及びませんが、
ヒネクレ者の僕の心情を取って、
「世の中にはそんなヤツも居るんだね」
と思ってくれればそれだけでありがたい。
「いや、違うやろ!自分はこう思う!」
って人は、是非それを書くべきだと思う。

文章を書くことの意味は、伝えることはもちろん、
己を見つめ直す機会でもあるとナヤは思うのです。

そして今日も凡打かな。
    mixiチェック

遠藤がよい。
僕好みな相撲を取るようになって来た。

2015年は最近増えてきた相撲女子と共に
遠藤を応援することになるやも知れぬ。

昨日はひとりの時間を有意義に過ごしました。

『にぎわい』等に書いたように
ウイスキーと音楽。
この時間が僕は兎に角至福で、
そのシチュエーションにぴたり来る(←小島麻由美用語)
音楽を作ろうとずっと努めているのですが
当の本人が最近は
その時間を作らずに過ごしていました。

そうそう!
これ観てみて。



これね、僕が中学生の頃に
NHKあたりでやってた『フォークギター入門』って番組の
冒頭、模範演奏なんですけど。
(いやいや。こんなん見せられたら
ギターキッズは遠ざかるっちゅーねんっ)
これで大ファンになって、
高一で初めて、ひとりライヴを観に行ったのね。憂歌団。
高校の頃から僕がブルース弾いてたのは
この番組内に出てくるレッスンをずっと観てたからなんです。

実はセッションしてる方も僕の兄貴(←フォークマニア)なんかは
鼻血もんの石川鷹彦氏。当時は知らんかったけど。
そして最後に後ろ姿が映る女性(笑)が
今は亡き加藤和彦氏。兄貴は卒倒するくらいの存在。

やっぱ勘太郎さんのギターが一番好きかもなー俺。
アコギのうまい人見たら、
エレキなんてホントくだらんなーと思ったり。

何の話だっけ?
そうそう。
やっぱ僕はブルースが死ぬほど好きでね。
その流れで最近ずっと浅川マキ聴くようになってたんだけど。

判らん人は判らんと思うんやけどね。
浅川マキ聴いてると、寅さん思い出すのな。

ど~しよ~もない~淋しさにぃ~
包まれた~時に~ お~と~こはぁ~
酒を~飲む~のでしょ~ぉ

いやホンマ。
第39作、寅次郎物語(←超オススメ)で
安宿にて寅さんが死んだ友達を偲んで
酒飲むシーンがあるのだけど。
なんか浅川マキの詩とかぶるのよね。

“意地は張っても心の中じゃ
泣いているんだ 兄さんは”

男一匹生きてゆくのはキツかね。(←海援隊)
世の中に一体幾人、男一匹生きてるヤツが居るのだ。

なんでそれを女性の浅川マキが代弁せにゃならんのだ。



いやはや。
その時間が取れたのも、やっと僕が
作業に手をつけ始めたからなのです。
ついつい時の経つのも忘れて没頭し
「え?もう23時??」
みたいなね。久々の感覚でした。
ほんと。
去年まで俺は死んでたよ。
やっと重い腰が上がった。

まだまだ一寸先すら見えぬ真っ暗闇ですけれど
みんなが夢中になって暮らしていれば
別になんでもいいのさ~(←フィッシュマンズ)


今日は初めて難波八坂神社をお参りし、
二拝二拍手一拝にまた赤面し(笑)、
この3連休に予定していたBook Off兄さんへの買い出し。
欲しかった本の入手具合はまあ、半分くらいかな。

兎に角兎に角。
木内昇の『みちくさ道中』が面白すぎて、
それに出てくるまだ読んでない本を片っ端から集めてやろうと。
ちょうど前回ここにその『みちくさ道中』について触れた後、
ベッドに入って続きを読んでいたら、
僕が読了間もない司馬遼太郎の『燃えよ剣』について語っててね。

ちょっとご紹介
 ↓

「土方は最期、戊辰戦争を戦い抜いて箱館で命を絶たれる。ページを繰るうち否応なく彼と共に生きてしまうため、本を閉じるとき身の内にしっかり喪失の空洞があく。だがその穴には存外熱いものが通っていて、実生活を生きる上での力になったりするから奇妙である。長らく司馬作品に馴染んできたが、こればかりはどういう仕組みか、未だ正体を摑めない。」

司馬遼太郎を読んだことある人にしか判らんと思うのですけど、
これ見事に言い当ててると思いません?
そうなんだよな~。
特別文章が巧いわけでもないのだけど、司馬遼太郎作品って、
本当にそういうエネルギーに満ち溢れている。
下手な新書や、指南書より、時代小説なのに勇気がもらえる。
しかも、その司馬先生の語るほとんどが実話だってんだからね。

そして、そんな受け取り方が出来る木内先生にも感服ですわね。
人の何倍も司馬ワールドを見据えてるんだろうね。
羨ましい。
もちろん木内先生の小説もすげいよ。
登場人物に語らせず、その心境を描くわけですから。
仕草や情景、視線だけでね。
昔の人は思ってること口に出しては言えんかったもんね。

僕は個人的に、木内昇、
やっぱ一番好きだと思う。現段階では。

『みちくさ道中』はエッセイなので、
その技法はあまり使われず、
もっとリラックスした文章と、
等身大の木内先生がおられるのですけど、
小説に込めた想いがしっかり語られていて、
「やっぱりか!」だったり
「なるほどね~」だったり。

で、そこで紹介される読物を何冊かと、
一番求めていた作品、
世に棲む日日〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋
2003-03-10


を買って来たわけです。
これは高杉晋作を主軸に追った小説なんですけど。
ちょっとベタかな?とも思ったり。タイミング的にね。
『花燃ゆ』の影響下にあると思われるのは癪なんですけどね。
ただ、初めて大河をリアルタイムで観てますよ。
二話まで終わりましたけど、どうやろ?うーん。
ちょっとバタバタしすぎてる感じですね。
まあ、まだ黒船も来てませんからね。

僕としては。
『龍馬伝』と『竜馬がゆく』で土佐を知り、
『篤姫』で薩摩、幕府を知り、
『新選組血風録』『幕末の青嵐』『燃えよ剣』で新選組を知り、
当然次は長州ですわね。
自然の流れなんですよね。
で、その後には『酔って候』で各藩の藩主を知ろうってぇ魂胆です。

でね。文庫いっぱい抱きかかえてレジで清算したら、
500円で一回、店頭にてガラガラが出来るっつーわけです。
「いや、拙者は必要ござらん」
とは、ナヤは言わない。(←司馬用語)

2回分出来たんですけど
1回目はスカでうまい棒。
2回目が4等かなんかで、108円文庫と交換とのこと。
「今日までじゃ」と仰せになられたので
また売り場へと引き返す。
その時点で予想はしていた。
おそらく、今から無料で頂戴する一冊から
読み始めるのだろう。そして。
それは僕にとってとても大切な一冊となることだろう。
そうなればいいな、と。

何にしようかな?
夏目漱石かな?司馬の別作品にしようかな?
悩んでいたら思い出したわけです。
『みちくさ道中』で度々出て来た名前。
向田邦子。
もちろん知ってます。過去にも読んでます。
ただ、エッセイは読んでなかったので、それにする。
これ。
父の詫び状 <新装版> (文春文庫)
向田 邦子
文藝春秋
2005-08-03


向田邦子は教科書で読んでからのファン。
探したら、全文ネットに上がってた。
短いので、知らない人は是非!これは是非読んでみて。
俺、酒場でよくこの話するんだけど(笑)
 ↓
字のないはがき

今日もらって来た『父の詫び状』もめちゃくちゃいい!
笑えるし泣けるし。
やっぱお父さんがよく出てくるのだけど、
気難しくて、厳しくて、おとろしいんだけれども、
ちょっと抜けてて、本当は家族を死ぬほど愛してるんだよね。
こういう父親が、日本には必要だと思うんだよね。
やっぱ、寅さんみたいな人(笑)
こういう人がいなくなってきたから、
ツマラン世の中になってんじゃーねーの?え?

で、思ったんだけど。
木内先生のエッセイ『みちくさ道中』は、
向田邦子エッセイの影響を、多大に受けていると思うのです。
そういうの、好きなんだなー。
音楽でもあるよね。
清志郎はオーティスの影響滲み出まくってるし、
中島みゆきは吉田拓郎だし。
むしろ僕は、ビートルズの影響を感じ得ないアーティストを
好きになれないほど。

なんかそういうの、嬉しくなっちゃうんだよなー。

パクリはイカンけど、影響下にないのはもっとイカン。
言い換えれば“憧れ”だもんな。
それが感じられないのって、ちょっとサビシイよ。
ああ、つまり。
現代人って、そういう“憧れ”が薄くなってるのかもなぁ。


で、本を買った後、チラッとCD売り場にも立ち寄ったんだけど。
(僕の欲しいCDはAmazonの方が
安い≪というかAmazonにしか無い≫場合が多いので、
Book Offではあまり買いません)

頭、全部真っ白のオジイサンが洋楽売り場を真剣に目で追っていて、
片手には眼鏡、そして反対の手にはセックスピストルズのCDがっ!

スッゲー!カッコええ!

僕、なんか仲良くなれそうな気がして
「オジイサン、ちょっと飲みに行きませんか?」
と誘おうかと思ったんだけれど、やめた。
思い出したのさ。

俺がピストルズあんまり好きくなかった(笑)
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