たぎり屋会報

たぎり屋ナヤのお送りする日々の回想、雑文。

2014年11月

 高校野球部の仲間達と、久方振りに会った。
こうやって集まるのは、一体いつ振りだったろうか?
それはつまり、腹が痛くなるまで笑い転げたのが、久方振りということになる。
みんな健康そうで、結婚をしていないのは僕を含めた数人だけになり、
実に幸せそうだった。

 僕は。実は。
ちょっと笑えないような毎日をこのところ繰り広げていた。
鬱屈し尽した日々を送っていた。
そんな僕ですら、大馬鹿者共(最上の敬意)の前で心の奥から笑い転げた。
高校の頃は、こうやって毎日笑い転げていたのかな?
特に仲の良い部だったからな。野球はめちゃくちゃ弱かったけど。

二次会のカラオケでは当然、ゆずの『夏色』からペニシリンなど、
当時の流行り歌。
「あの時お前は…」
「あの後ほんとうは…」
なんて、何度も繰り返された思い出話をまた繰り返す。
しかしグラウンド以外でも時間を共有し続けた僕らには、
それを語り尽くすことはできず、
また共有の思い出がひとつ、積み重なる運びとなった。

そんな中で実に久し振りに参加したエースが
「ミーティングで高見に言われた」
と、こんな話をした。
「『お前はそれじゃあかん。協調性がない』って。
俺な、今でも時々その言葉思い出すねん。
今日はそれを言おうと思ってここに来たんよ」

正直、うちのチームはエースのワンマンチームだった。
彼が居ないと野球にならなかったと思う。
エースは誇り高く、どちらかと言うと幼稚な他の野球部連中とは
そりが合わないところもあった。
30を過ぎて、彼はその言葉にひどく感謝していると言った。
「大人になったんやな」
僕が言うと、
「おう。当時は判らんかったけど、今思い出したら
ほんまに嬉しいわ」

試合に勝つ。
当然、そのひとつの目的の為だけに僕らは汗を流した。
最後の試合に敗れ、涙を流し、高校も卒業して散り散りとなり、
それぞれの道を歩み出したけれど、みな、原点とは言わぬまでも、
共有した時間を、心の片隅に抱いて、日々を過ごしてきたのだと知った。

マネージャーが、子供をふたり連れて来ていて、
僕は沢山遊んでもらった。
まっすぐ過ぎる瞳に見つめられ、僕も同じようにはしゃいだ。
「自分達を楽しませてくれる」と、子供達は期待を絶やさず、
僕もそれに応えようと一生懸命戯れ事を繰り返した。
その末、

image

子供達が撮った一枚(笑)

「市川團十郎にござりまする~」

母になったマネージャーは、一歩引いたところで、
子供達の動きにずっと目を配っていたのが印象的だった。
おかんってのは凄いもんだな。

におい。
人の発するにおいがある。
多く、僕はそのにおいに惹かれ、恋人を選んできたように思う。
だから、香水でそのにおいを消すことほど、
愚かしき行為はないと思っている。

これは個人にのみあるものだと思っていた。
しかし。
集団にもにおいがあることを今回知った。
当時のみんなで集まると、やっぱり当時のにおいがするのだな。
そしてその懐かしきにおいは、僕の心をとても落ち着かせる。
もしかしたら、久し振りの再会でも、
あっという間に打ち解けるのは、
知らず知らずこの、においが作用しているのやも知れぬな。
また「誰か足りない」とすぐ気付くのもこの、においの仕業やも知れぬ。
本当に10年振りくらいの仲間もいれば、消息が掴めない仲間もあった。



時間が来て、二次会のカラオケ屋から追い出され、
同じ方面の連中とタクシーに乗り、
今や、別荘となった無人の実家へと帰った。

目覚めたのは8時。
これがよく眠ったのか、或いはそんなに寝ていないのか、
僕は知れない。
帰ってきた時間を知らないからだ。
ほんとうに心地よい二日酔いを味わい、
外を見ると、夜中に降ったと思われる雨が地と紅葉を濡らしていた。
雲は中休みに入ったようで、その切れ間からは光が漏れていた。
ここが時なり、と、僕は元のスーツ姿に戻り、
自宅のある難波へと足を向けた。
道すがら、昨日のことを思い出しては、
笑いをこめかみで噛み殺した。
噛み殺しても噛み殺しても、肚の底から笑いが沸いて来た。
この感情を携えて、日々を渡ることが、どれだけ大切であるか、
僕は思い知らされた。
「俺にはあいつらが居るじゃないか」
いつもいつも馬鹿なあいつらが、今も変わらず。


二日酔いはものともせず、足取りは、軽かった。

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まずは横綱白鵬関、優勝おめでとうございます。
歴史的な瞬間を目にすることができ、
わたくしも幸せに感じております。
今後、あの映像は、何十年、いや、
もしかしたら何百年、歴史的名場面として、
繰り返し放送され続けることでしょう。

いや、されないな。

それはきっと次の優勝の場面。
単独トップになった瞬間。

そしていつになるや。
最後の優勝を飾る場面でしょうな。

これから白鵬関は誰よりも白鵬になることだろう。
そして願わくば、誰よりも横綱であってくれたなら、
一大相撲ファンとして、非常に嬉しく思います。

なんかこれから、
新たなる“強さ”を我々に見せてくれそうな気がしてならない。

きっともう、模索されていることでしょう。




ああ。
今年の相撲も終わったなあ。
もう何年、一日も欠かさず観てきたけど、
今年は一番熱くなったなあ。

御贔屓力士の活躍で幕を開けた。
「このまま大関で終わって行くのだろう」
そう予想した鶴竜が初場所千秋楽、白鵬を寄り倒しで破り、
優勝決定戦まで駒を進めた。
その一番、平成の大横綱に仕切りで睨まれ、
寄り切られて初優勝の夢を断たれた。

「ここがピークかな」
と想像したが、なんのその。
次の春場所、大阪の地で一敗で向かえた十四日目、
立合いで白鵬のあごを下から跳ね上げ、
自分のカタチに持ち込み万全の鶴竜相撲で寄り切り。
千秋楽、危なげなく好調、琴奨菊を斃して初優勝を決めた。
あの白鵬戦は、今でもVTRを観たら打ち震える。
しかもその場所は私自身、初めて大相撲観戦が叶った
思い入れの強い場所であった。
七日目の栃ノ若戦。
あのがぶり寄りは、私にとっては忘れ得ぬ一番となった。

初場所の14勝、そして、
春場所の14勝での優勝が評価され、
眠れる獅子は横綱昇進を決めた。

五月、夏場所。
初めて東京は両国国技館にまで足を運び、
鶴竜の土俵入りを観に行った。
それは相撲を観始めて、
鶴竜を応援し続けた一ファンとしての礼儀であると思った。
売り出し中の新三役、千代鳳に敗れてしまったけど、
鶴竜のおかげで両国まで足を運ぶことが出来、
大満足だった。

七月、名古屋場所。
まさかの三場所続けて相撲観戦。
しかも十四日目のチケットが取れ、
近鉄でひとり旅。
対するは白鵬。
負けたけど、イイ相撲でこれまた大満足。

この頃、十両で一塊の怪物が目覚めつつあった…

九月場所。
豪栄道が新大関。
遠藤の人気。
そしてついに目覚めた怪物、
逸ノ城が新入幕の場所。
バッタバッタと初対戦の幕内力士を斃し、
勢と白鵬に星を落としただけの13勝。
新入幕で普通、上位戦は組まれないのだが、
優勝争いに絡んだことで急遽、
横綱、大関戦が組まれた。
そして豪栄道、稀勢の里、
さらには鶴竜まで斃した。
結果、白鵬が千代の富士に並ぶ、
31回目の優勝を決めるのだが、
それが霞むくらいの怪物ブーム。
低迷していた相撲人気は上昇し、
連日の大入り。

十一月。
今年最後の大相撲、
九州場所。
怪物、逸ノ城は上位総当りで七敗。
しかし新関脇の場所で勝ち越し。
磐石白鵬をこの先苦しめるのは、
間違いなくこの男であろう。
目の周りの骨折により、先場所途中休場していた
黒豹、日馬富士は、前半こそ空回りしたが、
後半で自分の相撲を取り戻す。
同部屋、宝富士が大活躍。
「この人、こんなに腰重かったっけ?」
と、ちょっと信じられないほどの強さを身につけた。
ドタバタに巻き込まれ、不運な2年間を強いられた
蒼国来
私はドタバタの後に相撲を観始めたから、
詳しくは知らなかったのだが、今ウィキを読んで…
異国で、ありもせぬ疑惑を被らされて、
どんなに悔しかったろう。
なあ?
これは意地なんかい?
そんなつまらん感情じゃ、この活躍はあり得んのかな?
今、どんな景色が見えてるんだい?
今後目を離せない力士だ。
返り入幕、栃ノ心。
大ファンだけどうーむ…
荒いのはきっと怪我をかばってるんだろうな。
来場所、上位戦が組まれるだろうけど、勝てるかな?
8勝しかしてないのが意外なのは栃煌山。
妙な安定感を持ってるんだよね。
で、外せないのが碧山。
この人も新関脇で勝ち越している。
高安。
照ノ富士。
そして期待の星、遠藤が自信を取り戻した。
やっぱ遠藤が強くならんとつまらんやろな。

さて鶴竜。
12勝か。
ただ3敗は2横綱1大関からだから、恥じるに値しないね。
でも日馬戦は自ら落としたよね。判ってるよね自分で。
千秋楽。
いつも鶴竜の一番は身を乗り出して観るけれど、
今回はまったく。
正直、全然勝てる気がせんかった。
鶴竜もでしょ?
鶴竜が弱いんじゃなく、白鵬に、
あの白く大きな背中に、
なんか宿っていたよね?
勝負に私情を持ち込んで勝てるわけない、
なんてよく言うけど、
この大横綱は、持ち込んでそれを力にするから驚き。
ただ鶴竜、
今場所の相撲はアレを除けば横綱相撲だったね。
やっと横綱になって強い鶴竜を見れた気がする。
怪我のない力士。
来年きっと…
なんかそう思える場所だったな。

まだまだ逸ノ城、照ノ富士には負ける気がせん。
自分の相撲、続けるだけや。それしかない。

来年はきっと大相撲、
今年よりもっと面白くなるよ。

十四日目。
白鵬、日馬富士戦。
水をつけたのが控えの鶴竜と勝ち残りの逸ノ城。
「ああ、4人ともモンゴルか…」
僕は鶴竜の大ファンだし、
全然、国籍気にしていない、いや寧ろ、
異国から遠く離れた日本で、
その文化を継承してくれていることに
感動と感謝の念を抱いているけれど。
日本人力士の優勝、待ち焦がれていないと言えば
嘘になるかな。
近いのはやっぱ豪栄道。
豪栄道のはずなんだが…

強くなるヤツ、出てきたよ。
阿武咲(おうのしょう)。
来場所、新十両かな?
18歳。
すんごい面構え。


旭天鵬はじめ、全力士様。
今年も一年、お疲れ様でした。

豊真将ぉぉぉぉ!
戻ってきてくれよー!
俺がついてるぞー!
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鶴竜、会心の相撲(菊戦)を巻き戻しちゃ何度も観ました。
本日、優勝のかかった千秋楽(白鵬戦)に備えて。

その後、すぐ磐石晩酌で。
ころっと寝て4時台に起きる。
枕元のデジタル時計で
4時44分45秒を見届けて、否、見逃して、
ベッドから這い出てテレビをつけると、
宗教学者の山折哲雄さんが出てたので、
6時までしっかり観た。

宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』は、
賢治が発表したものではなく、
手帳に記されたメモなんだけれども、
実は、

“南無妙法蓮華経
雨ニモ負ケズ…
(中略)

ソウイウモノニ私ハナリタイ
南無妙法蓮華経”

なのだと話しておられました。
死を悟ったその心境だったんですね。

作家の高山文彦さんがお話を聞いていたんですけど、
認知症の母が、死の直前、
「高千穂に連れて行け」
と言ったという。高千穂にいるのに。
「後で気付いたんですけど…」
と、氏は話す。
「明日、高千穂に連れて行け」
と繰り返していたと。
「“明日”なんですよ、必ず」
山折先生は答えた。
「“明日”というのは、いい言葉ですね」

ニルヴァーナとは、涅槃のことだとも初めて知った。
僕は残念ながらニルヴァーナ(バンド)は
そんなに好きじゃないのだけれど。

宗教、もっとちゃんと勉強しないとね。




“竜馬がゆく”では、あの時代、つまり幕末、
幕府は低迷し、政治を動かしていたのは
薩摩藩だったとされている。
そのリーダー格がご存知、西郷吉之助(のちの隆盛)。
つまり西郷どん(←「せごどん」と読みます。愛称)が、
日本を動かしていたわけです。
その西郷どんの本が読みたい。
薩摩の動きを書いた本って何があるのかな?
と地味に調べていたら、
大河ドラマ『篤姫』に辿り着いたんです。
なんとなく進むのがゆっくりで苛々しながら
少しずつ観ています。
春風亭小朝師匠と、松坂慶子さん、高橋秀樹さんで
お話されるシーンがあるのですけど、
3人ともイイ声でね。
イイ声ってのはドキッとするね。

薩摩が幕末の政治を取り仕切り、
西南戦争で幕を閉じる。
薩摩藩士の男気が語られる有名な事件が
寺田屋騒動
もう説明は書かないよ。長いから。
つまり薩摩同士の喧嘩です。
親友同士で斬り合ったのですけど。
「オイ(俺)ごと刺せ!」
有名な言葉。

当時の武士達は死に様まで美しくなければならないのでした。
新選組では刺客に襲われ、逃げて帰ってきた日には
“切腹”と決まっておりました。
死に急ぐことは決してカッコイイことではないけれど、
命を賭して闘う、守るいうのは見習ってもいいのではないかと。
立合いで変化したり…(←根に持つ)




先祖。

「お前の前世はきっと…」
なんか最近では当たり前のように話されますけど。
僕も言いますよ。殆ど冗談で、面白おかしくですけどね。
つまり、全く信じていない。
みんなもそうなのかな?
「俺の前世はイングランドの騎士なんだぜ」
「まあ素敵!今夜アタシを…」

(筆者談)いかんいかん。
     いくら考えても下ネタが生々しくなる。
     因みに思いついたのは
     “串刺し”“馬乗り”

(読者談)「言うてまうんかいっ」

そんなバカップルもないだろうけど。
前世とか運命みたいなもん信じるより、
血筋を手繰った方がまだ
信憑性があるように思うのですけど。
つまり自分の先祖。

DNAっちゅーのは育つもんなのかな?
枝雀師匠は



なる話をされてますけど。

今は四民平等の時代ですが、
自分の先祖を遡れば、
なんだったかご存知ですか?
僕は知りませんでした。
この間それとなく母に聞いてみたところ、
ナヤの血筋は元々そこそこの商人だったと。
せやろな、と。
今、時代小説を読むようになり、
感じるのは、やっぱり武士然としている人
というのはいるわけです。
プライドが高くて、負けん気が強くて。
いや、いい意味でね。
そうでないといかん場面も沢山ありますから。
現代でも。

例えば矢沢永吉さんなんて、武士ですよね。
先祖のことは知りませんけど。

僕は自分を鑑みて、
絶対武士じゃないわな、と思ったわけです。
ケチくさい。
金銭的な部分もですけど、
生き様がケチくさい。
たぶん、農民辺りを虐げていたケチな商人だったんでしょうな。

やっぱ京都には公卿の血を引いた方が多いのかな?
面白いね。

僕が後輩に偉そうに物申したとして。
僕が商人で、後輩が武士だったなら。

150年前じゃ考えられんことですな。

そういうのはなくなってええねん。
ただ、面白いね、というお話でした。
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 昨日、スーパーでうどんスープを買った。
 うどんスープの在り処がなかなか知れず、売り場を練り歩く塩梅となったのだが。
 その間、頭の中ではCMの歌がずっと流れていたわけだ。見つからずとも、私は店員の襟を掴まえて、教えを請うような真似はしない。なぜなら、私がうどんスープを欲していることも、なかなか見つからず探し回っていることも(例えそれがうどんスープ以外のものであったとしても)店員に知られてしまうではないか。
 私がうどんスープを欲していることは、個人情報ではない。それに該当しないのであれば、当然保護される性質は帯びていない。名前や性別、血液型が世に出回ったとしても、私は心を掻き乱されることはないだろう。しかし、うどんスープを欲しているということ、それをたかだか塩草のスーパーで、なかなか見つけられずにいるということが世間に知られることを、私は快しとしない。
 これはある意味、私の趣味趣向、プライバシーを露呈した立派な個人情報ではあるまいか。であれば、ここ、悩説においても事実を偽造して公開せねばならないだろう。
“私はうどんスープなど買っていない。なぜなら必要としていないからだ”
 よし。これで大丈夫だ。
 無事、籠に放り込み、にんまりと致し、帰りの自転車に跨っても、CMソングは頭から消えないのである。これは、有難いことである。スーパーからの帰りの自転車では、歌を口ずさむべきなのである。それはなるべく意味のない、平和且つご陽気な歌であるべきなのだ。CMソングは広告だけの役割であってはならない。目的は経済的な利点のみに照準を絞ってはならないのだ。スーパーからの帰りの自転車が幸せになることが最も重要なのである。
 その点で、私は幸せを得た。そのことにより、当然ヒガシマルも幸せを得たことであろう。




なんやこれ。

ファンはがっかり。
鶴竜、変化はあかんて…
まあ当然、そんな負い目を担いじゃ、日馬富士には勝てんわな。
自分でも勝てる気せんかったでしょ?
思いっきりやって負けたらええんや。負けたってファンは逃げへんて。
せっかく逸ノ城をイイ相撲で斃したのに、今場所のイメージは
“豪栄道戦で動いた横綱”
として刻まれてしまうよ。
素人の僕が偉そうに言うこっちゃないね。本人が一番判ってるわね。
判っていても変わらずを得ないその心境、
土俵上のプレッシャーって一体どれほどのもんなんやろかいね。
“力士”と呼ばれるのは大変なことなんだな。

『竜馬がゆく』を読み干し、間髪入れず『新選組血風録』だったんですけど。
(一番好きなシーン。
“山崎(蒸。観察役)は副長土方の部屋によばれた。
「狛野が死んだそうだな」
土方は火鉢に金網をのせて餅を焼いている。
(略)
土方は餅を箸でつまみあげて、あんた手を出しな、といった。
餅をくれるのかと思って掌をさしだすと、土方は笑いもせず、
「餅は私が食う、この一件に手を出してみろというのだ」”)

それも読み終わっちゃって、続け様、司馬遼太郎に行くか、
木内昇の新選組に行くか、迷ったんですけどね。
ちょっと休憩を入れようと、現代小説を読むことにしたんです。
あーしんどい。
あーおもんない。
おもんない、言うたらあかんか(笑)
お侍様が闊歩しない小説はちょっとしんどい(笑)
なんつーかなぁ、頭に入ってこないんだ。
羽織や小倉袴が出てこないから。
衣擦れの音が聴こえてこないから。
先週末、テレビで相撲観ながら、
PCでYouTubeの「着物の着付け」をずっと観ていた僕です。
「かっこいいなー。欲しいなー。でも俺みたいな痩せ蛙には絶対似合わんのやろうなー」と。

寒くなってきて、今年の冬物を新調した方も沢山居られるでしょうが、
冷静に考えて、僕が着たい服は、完全に羽織袴なのだと気付きました。
冷静に考えて、それで外出するのは正月の初詣を別とすれば滑稽である。

なんで初詣には行くのに、着物を普段着にはしないんだろうね?

中学の時の先生が言っていたのをよく思い出すのだけど。
生活指導の先生だったのかな?誰だったかは思い出せないけど。
要するに「制服を正しく着なさい」と。
「制服をだらしなく着るのと、生活態度をきちっとするのは別ではないのか?と思う人も多いと思いますけど。別じゃないんですね。制服をだらしなく着る人はやっぱり生活態度までだらしなくなるんですね」
まあね。学校の制服って一部の女子生徒を除いては
信じられなくダサいですからね。
だからって普段着にしたところで中高生なんてみんなダサいやろけどね。
それは別として。
確かに僕もそう思う。
やっぱりライダースなんて着たらちょっと心が荒々しくなるんでないかい?
つまりは服に“着られている”状態だわな。
ネクタイ緩めたら心も緩むんだわな。
因みにスーツはきちっと来た方がカッコイイ。
これは衣装としての話ですけど。
サッチモが着崩してちゃ、様にならんよね。


着物もそうなんだわ。
襟元きちっとした方がカッコええ。
言うてる僕も喉元絞まるの嫌いで、すぐ緩めちゃうのだけど。

なんかやっぱ失っちゃいかん文化を、
我々日本人は、沢山捨てて来てしまったのではないか、と
僕は不安になるのです。
礼儀を重んじるのが本来の日本人の国民性なんではないでしょうか?

きちっと頭を下げてお辞儀する方が良い。
切腹までせんでよろしいけど、
そんな覚悟を肚に決める方が、我々は自由を得るんじゃないでしょうか?
自由を得るため、あまりに多くのものを捨ててきてしまって、
その中で行き場を失った人々が、今日も街をすれ違う。
うつむき加減のまま。

“「平和な国だね」と友に語れば
「かたい話はおよし」と誰もがすり抜けた
文化は地に墜ち 歴史は教訓ならず
世紀末の雨に 頭のてっぺんからひっかぶるのか”

JAPAN / 長渕剛

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1.凹凸。

これなんて読む?

2.凸凹。

じゃあこれは?

1がオウトツね。
で、2がデコボコ。

僕はこれを
「ボコッとへっこんでいる」
と覚えているのですけど。
つまり、「ボコッ」が後に来ている方が凸凹(デコボコ)。
だけどいつも、
「じゃあなんでデコッと出ている」
とは言わないのかしら?と思うのですけど。

まあ、どうでもいいんですけどね。


昨日、Amazonから届いた
Good Morning Spider
Sparklehorse
Capitol
1998-07-20


は、とても良かった。
キュンってなるのな。
スパークルホースはこれで3枚聴いたけど、
正直、ぜんぶ一緒(笑)
ある意味、安定感だこりゃ(笑)

結局、僕にとってはメロディーが大切なんだな。
似たような音楽やってるアーティストで、
もっと有名な人は沢山いるけど、
僕は暗いのが嫌い。

幸せなメロディーなんが好き。
シガーロスにしても、スパークルホースにしても、
フィッシュマンズもタテタカコさんにしても、それこそ、
かぐや姫にしても。

幸せのメロディーの方が、サビシイんだよな。
サビシイのに笑ってる方がカッコイイ。
人間味を感じる。

逆にサビシサを塞ぎこんで表現しちゃうと、
僕は信用できない。
それは現実の毎日であっても、
「甘えんな。勝手にさらせ」
と思っちゃう。

肚の奥にサビシサを隠して、笑っている人にこそ
僕は惹かれるし、
「大丈夫か?話聞いたろか?」
と、思える。

やっぱり
「表現の原点は“沈黙”」
なんですね、吉本隆明先生。

ところで。
たとえば斉藤和義なら
「さびしい」
と書いた方がシックリ来る。
だけど、佐藤くん(フィッシュマンズ)の世界なら
「さみしい」
なんだよね絶対。

どう違う、って口では言い表せないのだけれど、
間違いない。
僕はどっちかな?

日本語ってやっぱり素敵だな。



帰り道 / フィッシュマンズ

ええ曲やなぁ。たまらんなぁ。





昨日も調子づいている高安を問題なく押し出し、7連勝。
え?誰がって?
マイルド鶴竜 ONE。

それを見届け、家を出る。
1000円カットに向かったと思うでしょ?
ノーノーノーノー!
僕の出不精はそんなに甘かぁないですよ。
今はまだ、身を固める覚悟も出来てませんしね。
(悩説『鶴の奥義』参照)
夜の食材を調達しに行っただけ。
昨日、あの記事書いている最中に、
「あ!風呂でやったらええんや。やれんことないわ」
と思い立ったのです。
で、買い物から帰り、バリカン出してきて、
延長コードに繋いで風呂場まで…
いや、延長コードを風呂場まで伸ばし、コンセント…
延長コ…

「ないやんけ!」

一個くらい余ってるのあったと思ったのに!
じゃあ使っている物を一時的に代用…
全部、棚やらベッドやらの裏を這わしてて、
これ裏通すの苦労したんや…。

「ウチ、どんくさいねん」 (←ヒラメ)

やっとの思いで帰ってきたところやないか!
※注)ライフまで5分。

まあちょうど卵買うの忘れたし、と別のライフまで。
※注)こちらも5分。

っ!

延長コード、ナシ。
一番似た商品は、なわとび。
これじゃあかんやろなぁと渋々々々々!ジャパンまで。
めっちゃ遠いやんけ!
※注)10分

そこで延長コードを購入。

レジに並んでいる辺りで気付いたんです。

「1000円カットに行った方が早くなかったか?」


帰り道のさみしさのそのわけが少し判った。
    mixiチェック

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