僕の部屋には、PC席が設けられてあるのだけど、
いささかそこは寒過ぎて、コタツの主人席へと移動した。
それが悩説更新率向上の理をあらわすのであります。
来賓席は空虚のまんまであります。
ひとりで暮らすようになって、洗い物をするようになり、
手が荒れ始めました。
昨夜、ハンドクリームを買いました。
“オレンジ色のツブ入り”
随分と、具体的ではないか。
今、ゼゼヒヒで番頭さんのような働きをしている私ですけど(笑)
昨夜はひとりゼゼヒヒ。
新メニューの『おつけもん盛合せ』をつまみながら、
ゆっくりとたっぷりとおちょこを傾けるのでありました。
日付も変わらず、人格も変わらず、記憶も繋いだまま、
スッと帰りました。
やっとスマートに飲むことが出来たよー!
ニューボトルは中原中也仕様。シグネチャーモデル(笑)
因みに先代は、
井伏鱒二仕様。
後ろのポン酢は、なんら関係ございません。
昨日は帰って、なんと歯も磨いて(!)、
ボンベイサファイアも飲んでから眠りました。
そして6時台に目を覚まし、此れを書いている所存です。
さて本題。
僕のよく会うお友達の殆どが女性です。
「女好き」だと言われたとしても、名誉なだけだし、
否定は一切しませんが、友達は友達で、
男女の関係は当然ありません。
女友達曰く「ナヤ君は女子トークがいける」のだそうです。
複数回言われたことがあります。
自分としても、女っぽいところがあると認識しておりまして、
それも今では勝手に名誉に思っています。
(だからと言って男に抱かれるのはまっぴらです)
つまり芸術的な部分が女性的だと思っているのです。
あくまで一例ですが、
女性は形容詞を大切にしている気がする。
「かわいー!」終了。
男性はそれに理由をつけたがる。
「では、なぜ可愛いのか」
僕自身、そういうところがないでもないのですが、
その女性の潔さに惹かれます。憧れます。
もちろん男性の中にも、上記の女性のような
ステキな(←主観)人はいますし、
女性の中にも男っぽい理論ブッこく輩もおります。
たぶんそういう女性とは俺、友達じゃないんだよね(笑)
惹かれないもの。むしろ遠ざけたい。
「なんでそうしたの?」
って聞かれても、答えられんような人生を繰り広げておりますもの。
という人種がね、もしも男性の中にはゴロゴロといるとしましょうや。
すると、僕は男性を避けるようになるのですね。
男同士の会話の中には、駆け引きと言うか、
己の弱い部分を隠したようなやりとり。
「俺はお前より優れている」的な口上が
ちらほらするのです。特に酒の席では。
それも必要なことかも知れないのですが、
僕はとっても疲れるのです。
後々、とても後悔したりします。
と言うのも、その場では僕の中の男性的部分が、
沸々となるからに他ならないのです。
(なんか夏目漱石の『こころ』みたいな文章になってきた…)
その点、女友達といると安心します。
愚かな僕の戯言も価値観も、
大きな心と胸…、大きな心で受け容れてくれるから、
僕も自分とは異なる価値観や意見を、
スッと受け容れることができます。
こういうのが楽しい。
胸はまあ、小さくてもいいのですが、まあ個人的にはその…
でもそれはあくまで私めの好みでございまして、
どちらかというと
さて。
所謂グラムロックなど。
男性が女性的な表現を目指すのは、
僕はそういう意味で実に納得がいきます。
行き過ぎると、愛する対象すら異なってきたりするわけで。
(よくここで紹介するシガーロスのヨンシー氏も
同性愛を公言しております)
僕は別に女性的な格好も、男性を愛すこともないでしょうけど、
表現に女性的な部分は多く取り入れられたら、と考えております。
CHARAさんみたいに、
ずどどーんと自己を曝け出し、
「ね?ステキでしょ」
ってプイッとステージを降りる。(←イメージね)
そんなんがいい。
いささかそこは寒過ぎて、コタツの主人席へと移動した。
それが悩説更新率向上の理をあらわすのであります。
来賓席は空虚のまんまであります。
ひとりで暮らすようになって、洗い物をするようになり、
手が荒れ始めました。
昨夜、ハンドクリームを買いました。
“オレンジ色のツブ入り”
随分と、具体的ではないか。
今、ゼゼヒヒで番頭さんのような働きをしている私ですけど(笑)
昨夜はひとりゼゼヒヒ。
新メニューの『おつけもん盛合せ』をつまみながら、
ゆっくりとたっぷりとおちょこを傾けるのでありました。
日付も変わらず、人格も変わらず、記憶も繋いだまま、
スッと帰りました。
やっとスマートに飲むことが出来たよー!
ニューボトルは中原中也仕様。シグネチャーモデル(笑)
因みに先代は、
井伏鱒二仕様。
後ろのポン酢は、なんら関係ございません。
昨日は帰って、なんと歯も磨いて(!)、
ボンベイサファイアも飲んでから眠りました。
そして6時台に目を覚まし、此れを書いている所存です。
さて本題。
僕のよく会うお友達の殆どが女性です。
「女好き」だと言われたとしても、名誉なだけだし、
否定は一切しませんが、友達は友達で、
男女の関係は当然ありません。
女友達曰く「ナヤ君は女子トークがいける」のだそうです。
複数回言われたことがあります。
自分としても、女っぽいところがあると認識しておりまして、
それも今では勝手に名誉に思っています。
(だからと言って男に抱かれるのはまっぴらです)
つまり芸術的な部分が女性的だと思っているのです。
あくまで一例ですが、
女性は形容詞を大切にしている気がする。
「かわいー!」終了。
男性はそれに理由をつけたがる。
「では、なぜ可愛いのか」
僕自身、そういうところがないでもないのですが、
その女性の潔さに惹かれます。憧れます。
もちろん男性の中にも、上記の女性のような
ステキな(←主観)人はいますし、
女性の中にも男っぽい理論ブッこく輩もおります。
たぶんそういう女性とは俺、友達じゃないんだよね(笑)
惹かれないもの。むしろ遠ざけたい。
「なんでそうしたの?」
って聞かれても、答えられんような人生を繰り広げておりますもの。
という人種がね、もしも男性の中にはゴロゴロといるとしましょうや。
すると、僕は男性を避けるようになるのですね。
男同士の会話の中には、駆け引きと言うか、
己の弱い部分を隠したようなやりとり。
「俺はお前より優れている」的な口上が
ちらほらするのです。特に酒の席では。
それも必要なことかも知れないのですが、
僕はとっても疲れるのです。
後々、とても後悔したりします。
と言うのも、その場では僕の中の男性的部分が、
沸々となるからに他ならないのです。
(なんか夏目漱石の『こころ』みたいな文章になってきた…)
その点、女友達といると安心します。
愚かな僕の戯言も価値観も、
大きな心と胸…、大きな心で受け容れてくれるから、
僕も自分とは異なる価値観や意見を、
スッと受け容れることができます。
こういうのが楽しい。
胸はまあ、小さくてもいいのですが、まあ個人的にはその…
でもそれはあくまで私めの好みでございまして、
どちらかというと
さて。
所謂グラムロックなど。
男性が女性的な表現を目指すのは、
僕はそういう意味で実に納得がいきます。
行き過ぎると、愛する対象すら異なってきたりするわけで。
(よくここで紹介するシガーロスのヨンシー氏も
同性愛を公言しております)
僕は別に女性的な格好も、男性を愛すこともないでしょうけど、
表現に女性的な部分は多く取り入れられたら、と考えております。
CHARAさんみたいに、
ずどどーんと自己を曝け出し、
「ね?ステキでしょ」
ってプイッとステージを降りる。(←イメージね)
そんなんがいい。