たぎり屋会報

たぎり屋ナヤのお送りする日々の回想、雑文。

過去ブログはコチラ⇒
http://blog.livedoor.jp/beethovenman/

いやー
涼しくなりましたなー
ありがたいありがたい。
なんべん言ったことか。
ふぁっく夏!
苛立ちは暑さが齎すものだと知りました(僕の場合)。
昨日なんて鼻歌で過ごしましたとさ。土佐?勤王党?武市半平太!←ビョーテキ連想。

現在PCの壁紙は
bakumatsu_c

コレ(笑)
桂小五郎(のち木戸孝允)がカッコイイ。
短命、モトカリヤ!

と、これは余談。


年に何度か、非常に短い音楽熱が沸騰する時があります。
それには必ずビートルズが絡んできます。カツアゲ的ビートルズ。
今現在もそれに当たります。

基本的に僕はポールメロディーに惹かれることが多いのだけど、
今回のそれは、ジョンサイドです。
「お!」と今更(ビートルズは何度でも訪れる)注目する曲は、
多く、ジョンが歌ってます。



これが好き。
(今初めてウィキ読んでみたら、これもまた興味深かった)

ビートルズの凄いところは
摩訶不思議な楽曲を
非凡な音で
ポップに仕上げたところ

だと思う。
なにゆえこれほどポップに聴こえるのか。
そこにはジョージ・マーティンと共に
プロデューサー的な椅子に座っていた
ポールの存在が大きいと思うのですが。
そしてベースが上手い!
これほどベースの可能性を引き上げた人を
僕は知らない。
ベースだけ注目してビートルズ聴いてごらん?
どれほどポールが偉大か、よく判ると思うよ。
ベースは或いは、最も曲のカラーを牛耳っている。


…と、ビートルズの話を始めちゃうと
僕は止まらなくなるので今日はこの辺で。ウズウズウズ…


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今、僕が取り組んでいる音楽は、
言ってみると、ビートルズとは違うところから発祥したわけですが。
気がつけばビートルズの掌の上で右往左往しているだけ。
これは否めない。
むしろ本望であったりもする。

「ビートルズが全部やってもうてるから…」
ことあるごとに僕はそう言っちゃうのですけど、
本当にそう思ってる。

先日、スタジオでメンバーに曲の構成を説明していると、
「この曲はかなり作り込んでますねー」
と言われた。
実はやってることは本当にシンプルで、
今まで僕がやってきた音楽に比べ、
メロディーもリズムもわざとに削ぎ落として行ってるんですけど。
もちろん「これでイイのかな?」と相当悩みながら。
もし、作り込んでいるように聴こえるのであれば、
僕としてはこれは大成功。

びっくり箱みたいなバンドにしたいんさ。

テクニックではなくて、
アイデアとか人間味が出れば一番イイんさ。

って気がついたら、
「あ、それってビートルズやん!」と。

サージェントペパーを垂れ流し、
この季節は100パー、マジカルミステリーの旅に出、
当然のアビーロード、レットイットビーのルーピングループ!



やし、



さ。

レットイットビーやマジカルミステリーツアーは
失敗作で、寄せ集めだー
なんて言われるけど、
じゃあそれらは彼らの才能が発揮されてないのか、と言えば
もちろんそんなわけはなく。
良いか悪いかは、いつも言うように自己判断すれば良いわけで。

センセーの言うことが絶対じゃないからね。
君もセンセーも一匹のニンゲンなのだから。

ヒロト兄さんもこのように言っておりますし↓
http://j-lyric.net/artist/a00f6d1/l010ee2.html


とね。
僕がビートルズの話を切り上げるなんてことはできないのさ!
判ったか!
参ったか!


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ビートルズ以外にも、
ふと、頭によぎった曲が何曲かありまして。
「あ、これなんだっけ?」とipodこねくり回して
今現在はそれら全部掬い上げております。



これ。ハイロウズ。ジャングルジム。
良かった、上がってた。
このイントロが頭に流れて。
そのイントロから頭の中で歌っていってみると
「ジャングルジムはいーつもー」
あ!と。

ほんとヒッサビサに聴いたけど、
これはいいねー。
ギターもドラムもカッコイイし、
そして歌詞!
意味わからんのに情景が浮かぶ。
これが詩のいいところ。もちろんメロディーも
情景をより、鮮明にする。

そして。


これ。
Big Bad Voodoo DaddyのWhat's Next。
これもまたイントロが頭を流れて、
すぐにビッグバッドとは判ったけど、何の曲かワカラン。
「(頭の中のメロディーに)逃げんな!逃げんな!」
とipodクラシックをグルグル回して辿り着いた。
「おお!」と。

なんかね、こういう場合、頭で流れた曲とホンモノは
多少の相違が生じる場合が多いのだけれど、
ピッタリ合致した感じ。
そりゃーねー。ビッグバッドは相当聴き込んだからなぁ。
しかし「こんなにSwing感あったっけ?」と
今更失礼な印象(笑)
いや、この曲はね、実はバスドラ(ドラムの大太鼓。ペダルで蹴る)に
秘密がある。興味があればMr. Pinstripe Suitと聴き比べてみればよい。

こういうSwingの方法もあるんだね。

と相変わらずの雑食。
そして実は大半聴いているのはJazz。
アートブレイキー、キャノンボールアダレイ、
そして恐らく一番聴いたアルバム、
ジョンコルトレーンの『BLUE TRAIN』。
このアルバムはねえ…

キャノンボールの一番有名なアルバムはやっぱり
『SOMETHIN' ELSE』かな?
このアルバムはねえ…

あー語りたい語りたい!
でもめちゃくちゃ長くなるから
今度酒席にて(笑)

あ!俺今、たまたまTシャツ着てた(笑)

image
ユニクロの提供でお送りしております。

俺、マイルスそんなに好きじゃないんだけど、
この一曲目、かの有名なAUTUMN LEAVES(枯葉)のセッションは
やっぱジャズ界の最高傑作じゃないのかな?
マイルス自身、他のアルバムでも枯葉は録音してるらしいし、
当然ライヴでも何度も演奏したらしいけど、
このテンポで演ったのは、これっきりなんだって。
あー語りたい語りたい!笑


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世の中はデジタル化されつつあります。
僕はまあ、一言で言えば、レトロ好きと言うか、
今やそれも飛び越えて江戸時代とかそんな文化に
興味を示してございます。
もはやレトロって言葉では片付けられんわね(笑)

デジタル化され、便利になってます。
龍馬の写真もデジタル処理されて随分鮮明になったり。
音楽のリマスターもやっぱ凄いよね。
ビートルズもリマスター版で聴くことをお勧めします。
(てか、それしか手に入らんか)

だけどさ。
失恋、鬱屈、憤懣、葛藤、不安、不満、
つまりは全てにおける我々ニンゲンの感情。
これらはデジタル化できないんだよな。

今さ、『竜馬がゆく』読んでて、
司馬先生の描く幕末の志士、坂本某も、
平成を生きる我々となんちゃー変わらんぜよ。
お田鶴さまに恋をして、おりょうに出逢って、
志をまわりの者は理解してくれなくて。
僕も含めた現代の人間の感覚と、
それほど変わらんのよ。

やっぱり腹が減ったら何かを食う。
ワンクリックで腹が満たされるわけではなく。
失恋したら、自分で処理しないと、
消去ボタンなんてないからな。

そこは結局、ずーっとアナログなんだと思うのよ。

「当たり前でしょ!」
って笑うかも知れないけど、
ともすれば、それすら忘れてしまってると思うよ、現代さん。
なんか、あまりに“完璧”を求めているように見えるもの。
アイドルに対しても、政治家に対しても。
みんな生身の人間だからさ、
失敗もするのよ。
欲望に負けたりもするのよ。

テレビの中は嘘かも知れない。
マスコミがでっち上げた世界かも知れない。
でもね、写ってるヒトは、やっぱり生身の人間で。
腹を掻っ捌けば、真っ赤な血が出てくるよ。

うん、確かに当たり前のことだけど、
このデジタル時代を生きて行くなら、
時々そういうこと思い出さなきゃね。
他人をマウスでコントロールしたり、しないようにしようね。
もちろん、犬や猫もね。

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実は今回の記事、タイトルは先に決まってたんだけど、
ここまでそれに触れずに来ました。
いやー脱線楽しい!
脱線サイコー!笑

でも実は全部伏線です。

これは好みの問題でもあるので、
それが正しいと思っているわけではないのですが、
僕は不完全なものが好きです。
表現の話ね。
デジタル処理しちゃうと、完璧なのかも知れない。
そしてどうやら、最近はそういうものに皆様、
興味を示されているようで。
このまま世の中、完璧ばかりになっちゃうのかなーって考えると、
ちょっと怖くて。

右と左が線対称でなくてはならない。
方程式がイコールにならなくてはいけない。
(ごめん、数学弱いから使い方間違ってるかも…)
それこそ、
CDと同じ音をライヴでも出さなくちゃいけない。

「そんなことないわ!」
ってこれまた笑われるかも知れないけど、
いや、そういう風潮にあると思うよ。

“正しい”がひとつになりつつある。

僕は他人との会話の中で
自分と違う意見があっても平気です。
だけど、その相手は僕の意見が理解できないと
許せないようで。
じゃあどうするか、というと、
そういう人達は、『自分のなかにあるカテゴリーに分類する』
という強行手段に出ます。
残念ながら、僕はそこに該当しません。
別に該当しないことはこれっぽっちも苦しいと思いません。
33年間、僕はずっと該当しない男でしたから。
無理矢理に該当させられることが苦しいのです。
「いやいやいや…」
と、なる。
勘違いされてるわけですから。

そんなもん、教育委員会の出題する国語のテストやないか!

「答えはひとつじゃないよ」
って言うと、たぶん殆どの人が
「そうだよ」
って言うだろう。
だけど、それを本当に理解できてる人って一体何人いるのだろう。

僕は確かに変わっている。
あまのじゃくな部分もおおいにあると思う。
だけどね…。

これもいつも言うことだけど、
では、「変わってないニンゲン」なんて居るのだろうか?
僕は自分に正直なだけです。
自分に正直であると言うのは、これなかなかに楽なことではないのです。
自問自答、自問自答、自問自答!
ずーっと繰り返して繰り返し、繰り返し続けなければならない。
自分は何処を向きたいのか、果たして今その方角を向いているのか。
自問自答、自問自答、自問自答!(←貼り付け御免!)

そうやってやっと見つけた己の価値観に、
他人を連れ込んではいけない。
そんなもん、カルト宗教の教祖だ。

僕は誰も連れ込みはしない。
ただ、どうやら、端から見ると、
僕はそういうきらいがあると思われがちなようで。
これもおたくらの勘違いです。
「俺はこうするよ」
って言ってるだけですから。
「おたくらもそうせい!」
とは一言も言ってない。ここ悩説でも。
勝手に勘違いして、僕をカルト教祖にカテゴライズするのは
止して頂きたい。
そう思いながら『竜馬がゆく』読んでたらさ、
竜馬も同じでさ(笑)
竜馬は攘夷でも開国でもないんだよねー。
というより、「どっちか」、ではないのよね。
僕が今読んでるあたりはまだ、竜馬自身、
それをどう他人に伝えればよいか判らず、
本人もやきもきしてる。
ただ何度も言っている。
「これには時間がかかる」

また話がずれちゃったけど(笑)

僕はうまく行かない市井の人たちが好きなんです。
そういうものを表現した作品が好きです。
「それってどんなもの?」と思うなら、
是非、木内昇を読んで頂きたい。
たぶん、どの作品を手にとっても、
木内先生はそういう人達を描いているから。

めっちゃうまい機械的技巧のギタリスト、ヴォーカリストより、
テンション上がってもうて、ぐっちゃぐちゃになる人間臭い表現の方が好き。
端からそこに照準を合わそうとするもんだから、
低質過ぎるものしか生み出せんとも言えます(苦笑)

悩説書く時も気をつけているのだけど、
自虐ネタにならんように。
ネガティブ過ぎるもんにならんように。
実は本当は、死、すら意識するほど、
毎日毎日へこみ倒して人生送っておりますが、
その苛立ちはここに載せたくない。
かと言って希望に満ち溢れたような、
子供だましな表現もイヤであり。

この辺は実に難しいのですけど。

ダメダメっぷりをユニークにするような、
そんな表現と共に、
一生をゆっくり楽しんで歩んでいければ
一番イイのかな。

自問自答の末、小生が辿り着いた現在は、
このようなものです。




追伸

誰も遊んでくれんからついつい長くなった本日の悩説。
明日からは大丈夫。
相撲始まるものー♪
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僕は可愛げのない子供だった。
それは自覚している。
つまり、子供らしさががなかった。
真面目で妙に頭が良くて(勉強ができたという意味ではない)、
はしゃいだりしない、
いい意味で子供らしい、“空気が読めない”ということができなかった。
簡単に言うと、妙に大人びていた。

小2で河内長野に引っ越し、小3から野球を始めた。
きっかけは忘れたが、同学年では敵なしの強豪チームに加入した。
河内長野では無敗のチームだった。
初試合を僕は5番で出場し、その日、レフト線ぎりぎりの
ランニングホームランを打った。
ただ、野球が好きではなかった。
僕が野球を好きになったのは、高校に入ってから。
オヤジが昔ちょっと有名な選手で、
兄貴も野球が好きで、
物心ついた時から「自分は野球をしなくてはいけない」と、
半ば、諦めの心境で野球を続けていた。

その小学校の強豪チームには井上コーチという人がいた。
村田英雄似の男前で、ヘッドコーチだった。
他の監督、コーチ陣は、みな選手の父親であった。
多くの小学校チームがそうだった。
井上コーチの息子は、チームに居なかった。
井上コーチには、娘さんしかいなかった。
ある日、祝賀会か何かで、
「好きで女の子ばかり産んだわけじゃないんやけどねぇ」
と呟いていたのを今でも憶えている。
とにかく野球が好きな人だった。
村田英雄似、ということで想像はつくかもしれないが、
厳しい人だった。
選手もみな、ある意味一番恐れていた。
子供と一緒に阿呆になってわーっと騒ぐような人ではなかった。
いつもノックバットを持って険しい顔でグラウンドを歩いていた。
そのバットで何個のケツが叩かれたことか。

ある日、練習に行くと井上コーチは
ノックバットではなく、ZETTの木製バットを持っていた。
挨拶をしに行った僕を呼び止めて、
「ナヤ、これ使え」
と、そのバットを僕にくれた。
僕はそのバットで初試合に出場し、
初ホームランを打った。
今はもうそのバットはない。
僕がホームランを打ったのは
そのバットの魔法だと、小学生らしい浅はかな発想が蔓延り、
みなが使い始め、
ある試合で、誰かの凡打の為に折れたのだ。
今の時代、木製のバットを使う小学生は少ない。
規定で引っかかる大会もある。
それでも僕は、また木製のバットを買った。
そのバットでも沢山ホームランを量産した。

テテ親なら誰しも、自分の息子が一番可愛いと思う。
チームとは言え、それは自然なこと。
井上コーチにはチームに子供が居ない。
なぜ選んだのか、僕に目をかけてくれた。
試合中、黙していても、僕が打席に立った時だけ、
井上コーチは大きな声を張り上げた。
ファインプレイをした時は、目に涙を一杯ためて喜んでくれた。

前述したように、僕は可愛げのない子供だった。
井上コーチのその愛情が、時に重たかった。

ほとんどのチームメイトが、同じ軟式野球チームのまま、
中学に上がった。
だけど、僕とエースピッチャーのふたりだけ、
有名な硬式野球チームに進んだ。
結果的に、僕はそのチームでも沢山ホームランを打った。
しかし、軍隊的な野球がどうしても好きになれず、
僕はバットからギターに持ち替えた。

ギターに持ち替えて、初めてちゃんとしたステージに上がったのは、
赤峰ミュージックフェスティバルという地元のイベントだった。
高2の時だ。
今でも近しい先輩方が有志で開催した手作りのイベントで、
その第一回に、僕のバンドはまさかのトリで出演した。

赤峰ミュージックフェスティバルで使用した野外音楽堂は、
赤峰市民グラウンドの奥にある誰も使っていない場所。
そこに灯りがともり、轟音が鳴り響いた。
奇しくも赤峰市民グラウンドというのは、
僕が小学生時代、白球を追いかけた練習グラウンド。
僕は今でも「赤峰」という場所に特別な思い入れがある。

今も時々訪れては、気持ちを整理することがある。
僕にとって、変わらず、“聖地”である。

赤峰ミュージックフェスティバルは10年続いた。
先輩から受け継いで、僕ら世代が主催もした。
その時の仲間達は、今でも本当に仲の良い友達たちである。
実は、今も一緒にバンドをしていたりする。

今日、僕の大好きな『人生の楽園』という番組で、
河内長野の人が主人公だった。
それはFB上でも先週のうちに紹介した。
『人生の楽園』は、毎週録画し、決まって夕食時に観る。
河内長野が舞台、というのは関係なく、
今日の放送は特に感動し、箸の動きが止まり、
涙を拭いながら観ていた。

ミニSLを走らせる人が主人公だった。
人を乗せて(跨る形)走るSLである。
亡くなった奥さんからのプレゼントであったらしい。
「実は2本目のSLを製作中」ということで、
その風景が放送された。
場所は、これまた奇しくも『あかみね』。
前述のグラウンドのそばにある、障がい者センターである。
どうやらその一角を借りて製作中のようだ。
12年かけて製作しているという。
旋盤担当の人、汽笛製作担当の人と順に、
主人公の仲間達が紹介されていく。
12年前というと、僕が赤峰ミュージックフェスティバルに
参加している頃である。
「ああ、あの頃近くでこんなことしてる人がいたんだ」
と思いながら観ていた。
次に紹介されたのが、SLのボディー製作を担当している72歳の男性。
僕は一瞬、我が目を疑った。

井上コーチだった。

僕が選手だった頃、井上コーチは河内長野では有名な
ある金属工場で働いていた。
今は年齢的に引退されているだろうが、
その頃の技術を生かして、きっと仲間に入っているのだろう。

全く変わっていなかった。
真っ黒な頭髪に黒いポロシャツから覗く逞しい腕。
色黒で健康そう。はにかんで笑う顔に渋い声(意外と台詞(?)が多かった)。
とても72歳とは思えない若々しさは今にもケツバットされそうだ。

可愛げのない選手を可愛がっていた井上コーチ。
お酒が大好きでしたね。
奇しくも僕は今、酒好きになってます。
鶴竜が大好きで、巨人では二岡が一番好きでした。
地味な人を好きになるところは、
ひょっとしたらあなた譲りなのかも知れません。

あなたが期待したような野球選手にはなれなかったけど、
今度、会いに行こうと思います。
もし憶えてくれていたら、初めて杯を交わしましょう。
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珍しく、8時前まで寝た。
疲れが出たのか。確かに昨日の仕事は若干ハードだった。
最近、むかついている。
運転!
お前らちゃんとせえ!クソ共が!
なんでお前らのクソ運転のせいで俺が気分を害さんといかんのじゃ!
なんやその傍若無人な幅寄せは!
「当然」みたいな顔しくさって!
俺はただクールに仕事がしたいのに、お前らのクソマナーのせいで、
イライラさせられちゅーがじゃ!
まっすぐ走ってるだけの俺が、危険を察知して避けんかったら、
事故になってたぞな!
てことはあれか?
「お前が俺を避けて当然」と思っちゅーがか!?
「入れて入れてぇ~」ってちゃんとゆっくり伝えてきたら、
僕は基本譲ってます。
けど真横から切り込んでくるヤツが最近あまりに多い。
昨日はホンマに危なかった。一昨日はもっと危なかった。
お前ら全員、パパに言いつけて免許剥奪してやるからねー!

生憎、そんな権力はなく、怒りの矛先を向ける場所もなく
心の焼却場で処理している。つまり上記は燃えカス。



とある人に勧められたアニメを観ている。
僕が生まれるより前の時代を描いたアニメで、音楽が絡んでくる物語である(ここまで言うと、何のアニメか判っちゃう人は多いのだろうな)。
その音楽のジャンルとはジャズである(これで確信したか)。
舞台は九州である(最早なにゆえにタイトルを伏せるのかすら判らない)。

当然、今のようにケータイなぞ無い時代で、いつでもどこでも誰かと繋がっているなどというとことが、ない。
失恋の場面ではないのだけれど、駅のホーム、旅立つ人と、それを見送りに来た人との間を無常な扉が遮った。
それを見た瞬間、僕は、
「あ、フラれた」
と思った。前述したように、恋愛の場面ではない。
これはきっと、『時間にフラれた』という現象である。

僕がそう思ったのはほぼ日のとあるコンテンツで、糸井さんが吐いた台詞を思い出したからだと思う。
糸井さんは言った。

「そこはちゃんと、フラれといたほうがいい」

糸井さん、僕を『面接』してください。参照
(数多のコンテンツの中でも、僕の指折りのお気に入りです。お暇な時に是非)

就職活動中の青年(優等生)が、面接官が『自分』を見てくれない。
糸井さんなら『自分』を見てくれるのではないか?と、
糸井さんに面接だけしてください、と依頼するコンテンツなのですけど。
この中で彼は言うんですな。

『「取りあえず」で割り切っちゃったほうが
無駄につらい思いをしなくてすむというか‥‥。』

なんかもの凄く、現代を切り取った台詞のように僕には思えるのです。

話を駅のホームに戻します。
現代であったら、ホームで別れても、懐のケータイを取り出して、
「あ、さっき言い忘れたんだけど…」
と、これ、フラれてない気がするんですよ。
フラれきってない。

時間や場所を悪戯に弄んでるとでも言いますか。

前の記事でも書いたのですけど、
今やソーシャルネットワークで世界中繋がってるから、
例えば、久し振りに会った人に対して、「久し振り」という感情が薄いように思うのです。

それが悪いことだとは一概には言いません。
僕自身思ってませんし、それらを利用してもいます。

ただ、今日のこの記事は、世間や誰かに物申す!というスタイルではなく、
僕自身のことを思うのであります。

「ちゃんとフラれといたほうがいい」

うん、僕も、コンテンツの青年と同じで、フラれることから逃げているように思うのです。
まあ、僕の場合は、音楽ですな。
33にもなって、嫁さんも貰わず、定職にも就かず、ではその音楽で確かなものを得続けているかと言うと、全くそんなことはなく。小難しいことはさておき、有名業ですから、有名になることが商売のはず。志や豊かな表現とか、例えばそれがあるからと言って、誰も知らなければ、全く意味の無い世界です。
結果から言って、誰も僕のことなど知りません。
「諦めない」
なぞと言えば、なんだかちょっとカッチョよく聞こえますけれども、そんな上等なものですらない。
ただ、「フラれるのから逃げている」だけに思うのです。
もう長年、音楽活動はして来ましたけれども、ひょっとしたら何度か僕はフラれてたんじゃないか、と本当は思うのです。
その都度、僕は耳を塞いで「わーわーわー聞こえませーん聞こえませーん」とやってきたような。
往生際が悪い、とも言える。

動き始めた汽車の窓に顔をつけて
君は何か言おうとしている
君の唇が「さようなら」と動くことが怖くて
下を向いてた

『なごり雪』

多くの仲間達は辞めていった。
辞めて新たなステップに踏み出したり、家庭を築いたり。
辞めてない仲間は、(少なくとも僕よりは)確かなものを得つつある。

辞めていった仲間たちは、ちゃんと面と向かってフラれたのかなぁ?
その境が僕には見えないのです。
それは見ようとしてないだけなのか、或いは、まだ…




では。
音楽にすがりついているだけなのか?
最近よく考えるんです。自分の「一番好きなもの」について。
もちろんrrrrrrrr蓮根の天ぷらも好きですけど(笑)
中学生、高校生の頃は間違いなく
「ロックオンリー!OK!」
とかましとったんでしょうけれど、多くの若い衆がそうだったかな?
もちろん、サッカー、野球、将棋…好きなもんは人それぞれですけど。
みんなどこかで頃合を見つけて退くわけですな。
「俺は野球やってるより、サキちゃんと一緒にいる方が幸せ」
なんちてね。その手のが一番多いのかな?
僕はその「オンリー」がちょっと他人より長かった気がするのですけど。
ほんにこの間まで、ギターと心中する覚悟だったと思うのです。
2番も3番も考えられんかった。
だけど今は2番も3番もあります。「サキちゃん」もアリかも知れない。
サキちゃんて知り合いは居りませんけれども。

「じゃあ音楽やめちまうか!きっぱりと」
と、なぜかそうならない。なってくれりゃ、実は僕自身、とても楽なんですけどね(苦笑)
ほら、例えば一番好きなモンが相撲だとすれば、よ?
今から○○部屋に入門して力士に!なんて考えないでしょ?
そこまで世間知らずじゃないよ、失敬な!
相撲観てる時が一番幸せなら、ちゃんと仕事してお金貯めて、
毎場所を楽しみに、時々観戦しに行ったり、たまに贅沢して溜まり席取ったり。
実は僕、ご存知の通り相撲大好きですけど、時々虚しくなるんですよね…。
それは本読んでても、お酒飲んでても、友達と会ってても…。

どうやら、やっぱり一番好きなものは音楽のようで。
家ですっげーアレンジ思いついた時の興奮。
曲にイメージする詞がピタッとはまった時の悦び。
そしてもちろん、なんて言ってもステージのあの雰囲気。

未だに「オンリー」と言えるくらい、一番なんだと思うがです。

2番目や3番目はちゃんと存在します。僕の中でも。
でもたぶん、1番のずーっとずーっと下の方にあるような。

今や、好きかどうかなんて考えることはしないけれど、
うん、つまり好きなんでしょう。

ただ。
たとえばプロフィールなんか書く際に
「好きなもの」の欄があったら、迷わず「音楽」と書く人、
いてると思います。
そういう人たちを実は僕、羨望の眼差しで眺めたりします。
例えば友達か誰かのライヴを観に行って、
全然知らない別のバンドの音楽に幸せそうに身体を揺らす。
FMから流れてくる様々の音楽に耳を傾ける…。
そういう人達を。

僕はそれができんです。
たぶん、好きな音楽より、嫌いな音楽の方が多い気がする。
ヤナ奴ですよねナヤ。

つまり。
好きじゃないバンドの音楽より妙義龍(来場所、小結を跳び越して関脇へ昇進!)の方が好き。
司馬遼太郎よりa day in the lifeの方が好き。
ということ。

そしてどうやら僕の場合、
聴くより、創る方が好きなようです。

こういうことを言うのって、ナルシストとされるのかしら?
もっと世界の人達に「僕」を見て欲しい。
(あ、つまり先述の彼と同じってことか笑)

周りの多くの人は、完全に『僕』を勘違いしているから。
酒場でも、客席でも、付き合ってきた人までも…。
「俺はそうじゃないんだー!」
って叫びたいけれど(叫んだこともあるだろうけど)、
今の僕が何を吠えようが誰も見向きもしないわね。
(もちろん判ってくれる友達は幾人か居ます。感謝)
それを見せつけたいのだと思う。
それまではとりあえず、笑ってます。
(あ、剛の『』だ)

勘違いされたまま終わりたくないのぉ。
とりあえずの笑顔が、ホンモノになってしまわぬうちに…。

今日の記事は共感してくれる人、意外と多いかも。
これが僕の本性です。


ところで。
フラれる、で思い出したけど。
今日、雨じゃないの?
洗濯してもいいの?
    mixiチェック

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