たぎり屋会報

たぎり屋ナヤのお送りする日々の回想、雑文。

過去ブログはコチラ⇒
http://blog.livedoor.jp/beethovenman/

ジーパン育てたことありますか?


私服で出勤することが多くなり、色々と衣服その他を検索するようになった。
以前の記事、サドルシューズとわたし。にも書きましたが、座っていて楽で、カッコ悪くないものを探している。そこで購入したペインターパンツ。ペインターパンツも初めてなら、初めて国産のジーンズブランドで購入した。ずっと気になっていた国産ジーンズ。なんならリジットデニムが初めてだった。
バッキバキの状態で受け取り、自分で洗ってから穿く。高校時代、ジーパンが大好きなヤツがいて、そういう風にするのは聞いたことがあったが、初めての挑戦。夏には暑いかな?って厚い生地だが、穿いてみたらこれ、どうしてなかなか涼しい。とてもいい生地を使ってるんでしょうね。
何年も穿けば、きっと自分サイズの味が出てくるハズ。

なんかね。あんまりそういうの気にしない人が好きだった。
乱暴に扱っていたら、知らん間に味が出てきた、みたいなね。
自分はそれで行こうと思って生きてきたけど、なんだ、メンテナンスって悪くないじゃないか、と思えるようになってきた。歳を喰ったんだろうね。
うっすら美容にも気を付けている。まだ売れ残ってる身やしね。

そのペインターパンツが気に入って、そのブランドでジーパンも買ってみたいな、って暇な時にサイト見てたらモデルさんがカッチョいいブーツ履いてるワケ。
「ブーツかぁ。俺は履かないからなぁ」(この理由も『サドルシューズとわたし。』に書いてる)
ってよく見たらあれれ?思いの外スッキリしたデザイン。これならエフェクター踏めるかも知れん、と。
気が付いたらブーツを探し出していた。サドルシューズ買ったばかりなのに。
色々と自分の中に条件があって、それを満たしデザインも美しいものに辿り着いた。
そして気が付いたらそのブーツは手元にあった。8/1に購入していた。
僕は8/1にブーツを買う癖があるようで。
今所有してるもう一足のブーツ、ゲッタグリップ(なくなった?)も8/1に購入していた。
まだ地元河内長野に住んでいた頃、大阪市内の職場から家に帰るのに南海線に乗ろうとして躊躇った。
PLの花火。人混み地獄。これを避けるためになんばでブーツを買って時間を潰した。
今回はたまたまの物欲でしたが、なにせ、誰もがサンダル履きになる夏真っ盛りに僕はブーツを購入する。スニーカーもかなり好きなことは、ここにもよく書くけど、やっぱブーツってさ。てか革製品ってさ、グッと来るよね、職人の手垢が感じられるというか。ワークブーツとかエンジニアブーツとか、つまり昔仕事する人のために作られた形なワケじゃない?美しいよね。安吾の『日本文化私観』だわね。
今でも家にいる時、ふと思い出しては玄関にブーツ眺めに行ったりしてるわけです。

そんでまたブーツ履いてると、それに合うジーパンが欲しくなるわけです。
流石にそんな湯水の如くお金使えるほど裕福ではありませんから、今ギリギリで耐えてる状況ですが。
USED加工のジーンズを買おうと思ってたんです。
新品だけどすでに色落ち、ヒゲ(穿きじわ)なんかがが入ってるみたいなやつね。
「次はこれだ」って決めてチェックしてたんですけど、思い直しました。
「一回イチから自分で育ててみるか?」
ブランドのサイトには『色落ちサンプル』みたいな写真がよく載っています。だいたいが1年半~2年くらいのもの。もちろんジーンズなんて作業着ですから、それ穿いて作業してる人の日数ですけど。
(余談ですが10代の頃、ディスカウントショップでバイトしてた頃、穿いてたジーパンはめちゃくちゃエエ味が出た。けどすぐに両膝が抜けて、それでも穿いてたら店長に「ナヤくん、ファッションでそういうボロボロのジーンズ穿くのわかるけど、客商売には不向きだよ」とたしなめられたことがある。いやいや、ここで客商売してた勲章なんだけど!って言い返したかったけど、当時そういうパンツを穿いてステージに上がるような音楽(いわゆるパンク)をやっていた僕はそのジーンズをライブ用にして次の日からは膝の抜けてないジーンズを穿いた)
今は作業はしてないけど、自分で育ててみようと思った。
まだ、まだ間に合う!と思った。
しっかり愛用して、しっかりメンテナンスしていけば、味が出る前に俺が死ぬってこともなかろう。
今なら間に合うと。
ほんと全然詳しくなかったんですけど、ジーンズには○○オンスってのがあって重いもの、つまり厚い生地のものの方が味がつきやすいそうですね。つまり硬いからシワになりやすいってことらしい。
なるほど!って色々探して色々国産デニムメーカーのサイト見たけどやっぱ個人的には一番シルエットが美しいと思ったものは今穿いてるペインターパンツのブランドでした。もう買うヤツ決めました。

よっしゃ楽しみ!そうだ!ブーツもメンテナンスしよう!ってネットで調べてブラシとクリームと購入クリック!明日届く!って昨日ブーツで帰ってくる途中ガムを踏むっていう…!
ふぁーっく!やってまうぞボケぇー!吐き捨てられたガムに向かって吐き捨てる。
どうすべきか悩んだ挙句、家に戻り、使い古した歯ブラシに歯磨き粉(研磨剤が入っているからよく落ちるとどこかで聞いた)つけて擦る。キレイに落ちた。ホッ…
いやーここで放っていたら今後も何にもしなくなるだろうなって怖かったんです。
しかしガムなんか吐き捨てんなよ。
でさっきブラシとクリーム届いてブーツ磨き込みました。スパイク以外でクツ磨いたの初めてかも。

ジーパンなんて探してるとトライセラトップスの『復刻ジーンズ』なんて懐かしい曲が頭に流れるけど、「洗濯しちゃダメなんだ穿き続けろ」って、今は洗濯はちゃんとしましょうねって考え方らしい。
良かった良かった。昔からそうしてた。あ、ジーンズ用洗剤も買わなきゃだ。
    mixiチェック

子どもの頃、店員に話しかけられなかったり近所で遊んでる子どもたちに混ぜてもらう交渉が出来なかったりすると、母親や兄から「あかんたれやなぁ」とずいぶんとからかわれた。
トラウマというほどではないにせよ、それはとてもヒトとして劣っているのだと思って生きてきた。

最近『にけつッ』とか『松紳』などのトーク番組を観たり、芸人さんたちのAMラジオを聞いたりしていて思うのだけれど、それくらいの照れ屋は普通なのだと思えてきた。

僕は照れ屋であることが情けないことなのだと思って生きてきたので、芸人さんたちが「俺そんなん恥ずかしくてようせんわ。顔が真っ赤になるわ」なんていうのを聞くと「あ、言っていいんだ」と思う。

思えば、母も兄も僕と比べればそういう交渉が得意な方で、僕の人見知りは『あかんたれ』に見えたのかも知れない。
40も近づいてきて、やっとそれも個性なのだと気づき出した。

今までその劣ってる(と思っていた)部分を隠そうと生きてきた。
僕に人懐っこそうな印象を持っている人がいるなら、それは演技でした。本当は話しかけるのなんてめっちゃ苦手です。

飲みの席では容易にそれが出来たりもするけれど、それがその場にハマれば今後もその場ではその人でいないといけない。
なんかそんなことが続くと、人に会うのが億劫になったりする。

別に「俺、照れ屋やから」って言っちゃえば良かったんですね。言っちゃいけないのだと思っていた。
でも確かに誰にでも話しかけられる千原せいじさんみたいな人に憧れるところもある。

ただまあ、みんな似たようなもの抱えて生きてるんでしょうね。
みんな色々大変だわね。
IMG_1268
※スパイスカレーのお店、よそみのハイボール。贅沢に山崎使ってます。
 照れ屋隠して店員さんとおしゃべりするようになって、昨日は落語の話で大盛り上がり
 照れ屋隠して良かったこともあるわけです。
 
    mixiチェック

今週金曜の夜、次のネクストライヴオンステージです!


いつもの場所でいつものメンツ。
いつもと違う日になるはずです。

出番はトップの19:30~
よろしくさん!







古井由吉

日本小説家ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われている
とウィキペディア。
内向の世代って言葉、僕も今初めて聞いたので詳しいことは何も知らないけれど、
古井由吉の名は、ここでも何度か出したことがあるかも知れない。
結構前から僕の研究(ってそんな大袈裟なものでもないが…)に頻繁に名前が出てくる作家。
避けては通れずずっと気になって、ふと立ち寄った古本屋でその名を見つけたりしたら、何も考えずにとりあえず未来の自分のために購入しておいた。
その未来は何度か訪れ、何度か古井由吉の世界に潜入したけれど、その度に門前払いとなった。
僕の考え方ですが、本や映画、音楽もスッと入ってこないモノは別に無理して扉をノックし続ける必要はない。
受け取り手にまるで歩み寄って来ようとしない作品というのは、作品が愚かであるか、自分とは違う血が流れているのだと考えてしまって構わないと思っている。
とはいえ、あまりにもスッと入って来すぎてしまうと『娯楽』というカテゴリーに属してしまうので、なんだか軽いもののようにも思えてしまう。
最近は年も重ねたせいか、もう研究の念は捨てて娯楽から蜜を吸うだけでも構わないようにも思えていた。
元より研究というものは、娯楽こそがスタート地点なのではないかとも考えられるようになっていた。

そんな中でなんとなく置いて行けなかったのが古井由吉。
こじ開けた世界の向こう側に、パッと広がった風景はきっと僕の探している空気感と一致するはず。
数多、未来に託し、果たしてその時は来た。

思っていた通りの世界観が広がった。
思っていた通りの世界観を初めての趣向で表現する人だった。
まだ語れるほど読んだわけではないので、甚だ初心者の戯言ではあるが、一人称が突然三人称に変わったりする。
夢の話と現実とが交差したりする。
スッと入って来なかったのはこの表現のせいだと分かった。
呼吸を整え、腰を落としてぶつかってみると、その表現がめちゃくちゃ美しかった。
一人称が三人称へ…
例えば、自分の少年時代を回想しているシーンで、『私』から『子供』に変わったりする。
敗戦直後の電車の中で眠っていた古井由吉少年は、疲れ果てた復員軍人たちが口々に歌うノーエ節を聞いて「どこで音頭を取っているのだろう、と子供は思ってまた眠り込んだ」とある。
敗戦で無口になって俯く復員と大人たち。その真ん中で何事とも知れず所在なく眠る子供を第三者として眺めたのか、回想旅行の作家、古井由吉が自分の少年を垣間見たのか、これはきれいな技だと思った。

僕はどちらかというとコレクションを大事に保管する方で、CDも本もわりと買ったままの状態で所有してある。
本に書き込みをする人があるというが、それは素晴らしい行為だと思いながらも実行したことは一度とない。
今回初めて線を引いて付箋をつけようかと思った。
やっと捉まえた古井由吉の世界を、逃したくないと思った。
ここまでできれば、これを『研究』と呼んで恥ずかしくないのではないかと思えてきた。
『研究』も実は『娯楽』なのだ。
そして、『研究』の蜜の味を知る者は、その要素を含まない『娯楽』では満足できなくなるのである。
久し振りに研究材料を見つけた僕は、自分の内部に血が通い出したのを実感している。
    mixiチェック

このページのトップヘ