たぎり屋会報

たぎり屋ナヤのお送りする日々の回想、雑文。

過去ブログはコチラ⇒
http://blog.livedoor.jp/beethovenman/

立花かっけーーーっ!

よくドラマとかで見かける場面。
熱烈に愛しているんだけれども、相手の親に反対されて「君とは付き合えない」なんて無理言っちゃて突き放して相手の将来をおもんパカッて別れようとする。
だいたいの視聴者が僕を含め「駆け落ちしてでも手に入れろやー、カッコつけやがってー」とヤキモキするハズです。たぶん「自分ならそうするのにー」と考えるからそう思うはずなのです。
始まったばかりの朝ドラ『まんぷく』
まさにそんな場面が今朝放送されました。
安藤サクラさん演じるヒロインの福子に想いを寄せる長谷川博己さん演じる立花が、結婚を反対する福子の母(松坂慶子さん)に透き通る声で「もう福子と会わんといてください」とキッパリやられる。
その時に僕は上記のような結末を想像して、上記のような思いに駆られた。ストーリーを先読みして「諦めんなよ」と。
そしてふと、自分が同じ状況に立たされたらどうするのだろう?と初めて真剣に考えてみた。

ああ、俺、諦めるわ…と

カッコつけて。それは名目で、たぶん自信とか勇気がないだけ。
なーんだ、俺も奪い取ったりしないんだ…と勝手にしょんぼりしてたら、福子の母にまっすぐ立花が言った。
「それはできません!僕は福子さんに結婚を申し込むつもりです」
それのことです。

立花かっけーーー!

最後、立ち去る時に福子に力強く頷いて踵を返す立花。あれが印象的で、今まで注目したことなかったけど長谷川博己さん、大好きになったw
そんなんで好きになるのはチープだけれども、役者さんを好きになるのなんてそんなもんだと思う。一瞬のふとした演技に観てる側は電気が走って「なんで好きって説明はできないんだけれども…」好きになるものなのだと。
それは音楽でも言える。
「コード進行がこうだから」とか「メロディーが独特だから」とかそれで好きになることもあるけれど、一曲の中に出てくるふとした人間性みたいなんが「この人好き」って言わしめるように思う。
特に僕なんて全くジャンルで音楽を聴かないので、人間性だけに魅せられてるように思う。
勝手にしやがれの『マスカレード』って曲があんまり好きじゃなかったのだけど、武藤さんがスティック振り上げるライブ映像を観て大好きな曲になった。
ブランキーの『デリンジャー』って曲は後半ベンジーが「ミスターJ.D.!」って叫ぶのがスンゲーかっこよくて大好きだったり。
「楽器がめっちゃくちゃ巧いから」とか「バンドのグルーヴ感が最高でさ」とか人は言うけど、それもあるんだとは思うけど僕はそう聞くと『そんなんで好きになるんだー』って意外に思うことが多い。
なんちゅーかそういう部分って冷たい印象があるんだよなー。僕はどんな作品でも人間性の出てくる温かみみたいなんが好き。
コーネリアス小山田圭吾氏の、テンション上がった時にギターのネック立てる時が好き。

ある意味、人間性って全部ライヴ感なのかも。
ドラマでもグッと人間性が出る場面って、例え撮影とは言えライヴ感を捉えたものだと思う(またはそれを引き出せる監督やカメラマンの力量)。
それこそ小説だって、作家がテンション上がってる瞬間って伝わってくるもので。それは校正して得られるものではないと思う。寧ろ書き直したりしたら壊れるんじゃないかしら。(有名な作品で例えるなら中島敦の『山月記』。後半、虎が語り出す場面なんて完全にテンション上がってる)
今回のブログも何を隠そう、完全にライヴ感でw
書いてるうちにテンション上がってきて、思ってもない方向に話が進んだ。
どれくらい伝わってるかワカランが、なかなか興味深いことが書けてる気がしているw
別にこんなことって普段から考えてることではないので。書いてるうちに、内から出てくる思考。書きつつ自身で「なるほど」と思ってる僕です。

他に書こうと思ってたことあったのだけど、思いがけない方向に進んでずいぶんと長くなっちまったので、今日はこれで終わり。

でも、みんな気付いてないだけで、意外と知らん間にライヴ感って受け取ってるものだと思うよ。
それで好きになって説明しようとするもんだから「演奏が巧いから好き」とか、小説で言うなら「あのストーリー展開がタマラン」とか理由を探して言っちゃうんじゃないかしら。たぶんそれって二の次なんだと思う。
まあ、つまり表現する側はその一瞬で勝負できるかどうかが大切になって来るんだろうね。

そして書いてて思ったんだけど、何もこれって作品だけに言えることではなく、人が人を好きになる時だってライヴ感なのじゃないかな?
「顔が好き」とか「お金持ってる」とかそういうのってとても脆いように思うのです。
それよりは「セックスが合う」の方がよっぽどリアリティーがあるように思う。
その話も近々書きたいんだよなー。嫌われるかしらw
僕は今までライヴ感で好きになった人と付き合ってきたのかな?
今後ライヴ感で好きになった人とお付き合いできるのかな?
それは判らないけれども少なくとも、ライヴ感の話で盛り上がれる人だったらいいなと思うです。

そんなわけで本日は久し振りの難波ベアーズです。
2番手で19:40~予定!
昨日練習して来ましたけど、ええ音出てましたので。
ライヴ感が出るかはまだ謎。
俺は今まで出せたことあんのかな?まだまだ青いか?半分、青いか?
    mixiチェック

「もう一回やって~ もう一回やって~」
僕には子どもはないが、子どものしつこさは知っている。
姪が小さかった頃や、友達の子どもとか。
僕なんかはたまにのことなので寧ろ人気者になった気分で嬉しいくらいだが、毎日一緒に暮らしている親ならそりゃ大変なんだろうなと思う。
そんなことを思い出させるくらいの今年の台風事情。
台風だけではなく大雨も地震もあった。
それらすべてが業務に影響する仕事をしているもので、このところずっとてんやわんやとなっている。
そんなてんやわんやと対峙していて気がついたら、あっという間に今の職場に来て一年が経っていた。

昨日はコーネリアスのライブでした。
オリックス劇場。
去年はなんばHatchで、その時のこともここに書いたと思うけど、それがコーネリアス名義では11年振りのツアーで。今年はまさかの2年連続ツアー。
去年本番観ながらにして「もう一回観たい」と思ってたのが叶いました。

近くの飲み屋で景気づけの一杯。
これが正解で心を程よく高揚させる。
初めて行ったコーネリアスが、僕が二十歳くらいの頃。たぶんアルバム『POINT』のツアーだったのだけど。僕にあらゆる不健康且つ教育上よろしくない芸術を植え付けた男(僕が唯一師匠と呼ぶひと)とその嫁さんと行った。当然コーネリアスもその男が教えてくれた。
『ファンタズマ』ってアルバムが傑作で、僕は未だに世界最高のアルバムだと思っている。
その中にmonkeyって曲があって、まるでアメリカのアニメ、バックスバニーの音楽みたいなんが入ってて。当時僕は「ロックアルバムの中にこんなん入れる人いるんだ!」と驚いた。
「けどライブでやれない曲入れてもなー」なんて思ってたら、まさかの演奏が始まって。しかもがっつりバンドで演奏してて。「なんだこいつらー」と。
未だにその時のパフォーマンスを鮮明に覚えてて、凝りまくった演出を今でもよく人に話す。

その二十歳の衝撃が梅田のライヴハウスだったと思う。
去年がなんばHatch。
そして今回はオリックス劇場だったので初めて観るホールツアーだったわけです。
どんなもんかと半信半疑ではあったのですが…

超えてきた。

二十歳の衝撃を超えてきましたよ。
オリックス劇場の前に着くとスゲー人。正直平日だし、みんな「え?コーネリアスってまだやってんの?」って言うし、去年に引き続きだし、あんまり売れてないと思ってた。めっちゃ入るやん!と。
年齢層は幅広く、けっこうなお年の人から若いお洒落さんまで。親に連れられた小さい子どもまであって、「無理矢理連れて来られてんのかなー」ってよく見たらその子ども、でっかいヘッドフォンを首にかけてて。あ、めちゃくちゃファンやん!と思ったり。
お父さんに連れられた男の子ふたりはツアーTシャツ着てたりと。そうなると、小さい頃から上質な音楽に触れさせてもらってる子どもたちがめちゃくちゃ羨ましく思えた。僕は両親ともそういう芸術への関心って皆無だったからなー。
オリックス劇場って座席幅めっちゃくちゃ狭いのな。ピロティホールより狭いよきっと。
席に着いた時は両サイドとも誰も座ってなくて。いたいけなひとり女子が座って「この後どうですか?」の流れを信じていたのに、両サイドともゴリゴリのおっさん。おっさん3連発。普通に座って両肩ともふれあい。さ~び~しさ~に~出会うたび~
前の席の兄ちゃんの頭にミドリのなんかついててめっちゃ気になる。なかなかおらんぞ、と。しばらくしてよく見たら、その頭の別箇所に虫が動いてるし。おいおい、どこ歩いてきたわけ?と。もう集中でけへんやん、と。
そうやって始まったライブは去年とほとんど同じセットリスト。それは想像していた通りだったけど、音がイイ。これは近年稀に見る音の良いライブだ!と感激。そして曲とリンクする映像や照明の演出、スタンディングのライブハウスではなくホールだと隈なく全部堪能することが出来て、コーネリアスは絶対こっちの方がイイ!
初っ端から泣きそうで狭いシートの上で揺れまくっててふと気づいたら…
揺れてるの、僕を含め数人。
え?コーネリアスを微動だにせず聴けるの?この人たち。なんて器用な人たちだ、と驚く。
もしかしたらスタンディングだとそんなでもなかったのかもだけど、ちょっと信じられない光景だった。ちなみに両サイドのおっさんふたりは僕が揺れまくるもんだからツラれて揺れてた感じ。
ライブの定番曲『COUNT FIVE OR SIX』が始まるとさっきまで頭揺らしてた数人の不器用組が立ち上がって踊り出した。
そうそう。そうこなくっちゃと観てた。何人か立ち上がったけど全員女性なのな。
予想した通りだったけど。
『FIT SONG』であらきゆうこがエゲつないドラム叩きまくったら前回と同じ流れ。
『GUM』行って名曲『STAR FRUITS SURF RIDER』そして『あなたがいるなら』
これは憶えていたから否が応でもテンションが上がる。知ってか知らいでか、『GUM』終わった時点で離席する人が何人かいて。
「次スターフルーツですよ~」ってめっちゃ声かけたくなった。よけいなお世話か。そうか。

1曲毎に歓声が上がったり、カーテンコールでは拍手が鳴りやまなかったり。
終演後会場を出ようとすると「めっちゃよかったわー」の声がいっぱいで。
これは余談だが、男性が連れの女性に「はじめてやったらすごい衝撃やったやろ?」と声をかけ女性が「んー」と微妙な反応。端から見れば野暮なんだけれども、僕でも同じシチュエーションだったら同じ台詞吐いてたかも知れない。男女のカンケイなんて端から見れば誰でも野暮になるものだ。特に男は。
帰ってからSNS見てもみんな大満足だったようで。僕もそう思ったけど「今までで一番のコーネリアスでしたー」と。「またホールでツアーして欲しー」など。
同意見ではあるのだけど意外だった。
あれだけ頭揺れてなかったから、ホールコーネリアス、ハマってなかったんだと思ってた。
頭揺らさずとも、みんな楽しんでたんだね。これが日本人なのだと痛感させられた。

こんな素晴らしい音楽を聴くと、やっぱり音楽だなと思う。
受け取り手が勝手に想像して成り立つ芸術の最上級は、やっぱ音楽なんだなと思った。

そして、揺れてなくても楽しんでるのが日本人なんだということも肝に銘じておこうと思った。


※コーネリアスはオフィシャルでYouTubeにいっぱいライヴ映像上げてるから興味のある方はぜひ~


    mixiチェック

昔に比べりゃ金も入るし ちょっとは幸せそうに見えるのさ

なんて清志郎が歌ってますけど、まさに今の僕で。
じゃあいいじゃねえかって思うのならこの曲全部聴いてみるといい。

ちょっと久し振りの連休で解放感を解き放ち、ひとり飲みからの映画鑑賞。
レイトショーって安いんだったね。忘れてた。
今話題の『カメラを止めるな』
その後どうする?のカップルたちに混じってオジサンひとりポケットウイスキー忍ばせて睡魔と闘いながら(時々負けながら)の鑑賞。
映画どうこうよりその雰囲気が好き。飲み屋から映画館の感じ。夏なら絶対行かないけど。暑いの苦手で行動力は家に閉じこもる。
ひとり者の贅沢だな、なんて思う。一生ひとりモンなんてことのなきやうに。

さて映画。
ハマらない。なんだコレ。作品に言ってるんじゃない。自分に言ってる。ガッカリしてる。
なんで大人気作品がいつもハマらない?俺。
『ラ・ラ・ランド』の酷評なんて聞いたことない。
みんなめっちゃくちゃ感動して、熱く熱く語ってる。
俺もそうでありたい。そうでありたかったのに…
ハマらない。面白くないまでではない。
似たような作品で言えばちょっと昔の作品、デニーロの『ニューヨーク ニューヨーク』の方がだいぶオモロかった。

ラ・ラ・ランド、なんでみんなそんなに面白かったの?
ストーリー?演技?カメラワーク?

カメラを止めるなは客席みんな爆笑してて面食らった。
あ、笑いながら観る映画なんだ…って。
相当ダメだ俺。前にも書いたっけ?スッと入って来ないんだわ。
相手(作品)が何を言わんとしてるのかが瞬時に理解できない。

世間とズレてるの、ホントにイヤなんだけど、確実にズレてる模様。
俺って無感動ニンゲンだったっけ?って最近感動した映画を思い出そうとすると決まって出てくるのが
 

『サンドラの週末』

観ながらにして「ああ俺こう言うの好きなんだなー」って思ったし、
いつまでもいつまでも心に刺さったまま残ってる。
意地悪な設定だよねー。
俺のとこにサンドラ来たらどうするんだろう?ってさ。
フランス映画ってこういう意地悪さあるよねー
アメリもちょくちょく意地悪よなー

そういえば映画館に行った時に妙に
 
『コーヒーが冷めないうちに』
が気になったのですが、今初めて予告編観てみたら、面白そうだな。
次はこれに行こうかな。石田ゆり子出てるし。
ただ有村架純かぁ…

で、映画館に行く前の話。
行きつけの飲み屋の女性店主が、最近落語を聞きに行ったという。
それがどうも俺が落語好きで、店でその話をするからだと調子のいいことを言う。カワイイ。
騙されへんぞっ!とニヤける。
「なぜ音楽をやろうと思い立ったのか?」
と聞くので「長渕剛」と答える。
店主の父親が酔うと決まって下手なモノマネで長渕を歌いだすとかで、店主は長渕を毛嫌いしている。
それを判っていて、僕は意地悪で言うのだけれど。
長渕剛から始まったことは決してウソではない。
僕の中のとても大切な部分の、しかも相当多くの割合を長渕剛が占めている。
長渕剛をちゃんと聴いたことのない人の多くは、彼を勘違いしている。
ファンの方々が崇め奉るので、そのイメージだけが先行してしまっているようなところがある。
テレビでも熱いタマシイで世間に訴えるので「暑苦しい」って意見をよく聞く。
そんな人には「アルバムを聴いてみて」と言いたくなる。
本当はとっても繊細で淋しくて、誰もが抱える心のずっと奥の痛みを見事に歌にしているアーティストなのである。
彼の歌詞は、あたかもあったかのように、自分の経験のように架空の物語を作り上げる。
中には自分が経験したことをモデルにしている歌詞もあるようだけど、
その中に出てくる男が、憤りの中でとぼとぼ歩いていて、ファンの多くはそこに自分を照らし合わせて、気が付けばその歌詞の中の主人公になってしまう。

てなことを気がついたらもう少し手短に(たぶん…)女店主に話していた。
気がつくと毛嫌いの様子はその顔から消えていて、僕は『西新宿の親父の唄』の熱弁を奮っていた。

「西新宿の…なんですか?」
頭の中にインプットするように聞き返す。
本当に興味を持ったのか、ただの客相手の付き合いなのかは知らないけれども、カワイイ。
わるいやつ。

勧めると決まって聴きたくなるもんで。
ただ長渕剛の作品なんてものは多くのファンがそうであるように、
アルバムを引っ張り出してプレイヤーにセットするというよりは、
ギターをどかっと構える。
長渕剛の唄は、腹の中にある。それを呼びだす。

そうして久し振りに昨日、長渕剛の唄と向き合った。
『西新宿の親父の唄』
『東京青春朝焼物語』
『ネバーチェンジ』
『電信柱にひっかけた夢』
『ガンジス』
唄えんね、最後まで。何かが邪魔してね。
この歳で、何にもうまく行ってない俺みたいな男には。

「すすけた畳屋の割れたガラスに映っていた 暮らしにまみれた俺がひとり映っていた」(西新宿)
「死んだら灰になるだけさと笑ってみた」(ガンジス)
「あの時の電信柱にひっかけた悔しさと諦めが俺の胸を叩きやがる」(電信柱)

僕はこの辺の唄たちって小学生の頃から知ってて、歌ってて。
ずっと持って成長してきたようなもの。
この歳になってこれを歌うともう「ああ、この感覚か…」と。

あらためて長渕剛をギターで弾いていると、コード進行には彼特有の癖があって。
この進行が長渕節になるのだな、と知った。
そして、普段聴いてる音楽と違ってフォークってコード感がとても素直でとてもキモチイイ。
フォークにハマる人って、この素直さにピタッとなるんだろうなと感心。

そして気がついたら僕もやっぱりモノマネになるのだ。
このことは店主に言わないでおこう。
    mixiチェック

このページのトップヘ